野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

気まぐれ雑記帳 2012-09-13 オヤジの価値観

 

 私は1955年生まれなので、常識的に考えれば“オヤジ”側の世代、そして“オヤジ”側の人生観を持っているはずの人間である。

 ところが、どうしてもそのようになれなかった人間なのである。

 

 現在、多くの若者たちが親世代よりも(経済的な意味合いで)良い暮らしをするのは難しい時代を迎えている。

 いわゆる団塊の世代と呼ばれる人たちが社会に出た時期は「日本の高度成長期」と重なった。戦後の復興とも重なってどの分野でも需要が供給を上回った。

 さらに、この時期は第二の明治維新とも言える状況で、日本人のなかに「追いつけ・追い越せ」という気概があった。

 放送大学の「高度成長の秘密」という講義によると、そんなに単純なことではないのだが、そのあたりは本稿の趣旨ではないので省略させていただく。

 

 私がレッスンで扱う題材のひとつに中島敦1909-1942)の短編「名人伝」がある。

 それは次のように始まる

 

「趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた」

 

 紀昌の家系は弓とは何の関係もない。あるいは、紀昌の父親、あるいは身近に高みを目指そうとした誰かがいたという記述もない。

 物語は次のように続く。

 

「己(おのれ)の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛(ひえい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである」

 

 紀昌は自らの判断で師を定める。

 

「紀昌は遥々(はるばる)飛衛をたずねてその門に入った」

 

 ここまででストーリーはかなり進んだが、小説では、わずか4行。全文でも文庫本で11ページに満たない掌編だが、贅肉のない簡潔な文章で壮大な人生が語られる。

 物語後半に邯鄲の人々のことが出てくるが、誰もが、ごく普通の人々である。ここでいう普通の人々というのは「その社会の価値観を至極当たり前のものとして受け入れ共有する」人々のことで、いわゆる健全な人々である。

 それに対して紀昌は、身近な誰の価値観にも影響を受けず(受けることができないのかも知れない)、弓に自分の生きる道を見出そうとした。

 このあたりは、私自身が中学生になってすぐ、しかも何の理由もなく「作曲しなくてはならない」と思い込んだ経験があるので、よく分かる。

 断っておくけれども、私は音楽の英才教育を受けたことも、その当時、誰かから音楽の才能があると言われたことも、自分自身に才能があると思ったこともない。ただ、強迫神経症的(?)に作曲しなければならないと思い込んだ(勘違いした)だけである。

 おそらく紀昌もそうであったに違いない。しかし、読み進むと紀昌の場合は単なる思い込みでも勘違いでもなかったことがわかってくる。

 その証拠に、物語はその後の彼が真の弓の達人(弓だけではない)に教えを受けられるまでに成長し、人生の真理に到達するまでを描いている。

 

 高学歴の親は自分の子どもも大学に進むものだ、と考えがちであることが調査から分かっている。一流企業に勤務し、結婚して自宅を建てた親は、自分の子どもも同じような道を歩むものだと考えている。

 これがオヤジの価値観である(母親も同様だけれど、タイトルをどうしてもオヤジの価値観としたかった)。

 当たり前だけれど、人は自分の人生しか知らない。

 毎日自分の価値観を(悪意なく、むしろ応援するつもりで)押し付けてくる勘違いオヤジ(オフクロ)の圧力に耐えるのは並大抵のことではない。反発して喧嘩をしても収まるものではないからだ。

 そんな勘違いオヤジを黙らせる一つの方法は、息子や娘が起業して、見るみる間に凄腕の経営者になるか、あるいはオヤジも登りつめたことのない大企業の高い地位につくことである。こういう目に遭った時、自分が成功者であるというプライドで生きてきたダメおやじは弱い。いきなり言動が弱腰になって、卑屈にさえ感じられるようになることだろう。

 しかし、そんなことが簡単にできるとは思えない。

 では、どうすればよいかということになるが、つぎのような例はどうだろうか。

 

 はるか昔、世界がまだ自分の周囲、家族とムラ社会だけであった時には、親や長老の助言が重要な情報源だった。さらに先祖の言い伝えなども貴重な情報だったに違いない。

 ところが読み書きが一般的になると、距離と時間を超えて、より遠い偉人たちの考えに触れることができるようになった。

 そして現代。私たちは2000年以上も昔の古代の哲学者の言説から、現代に至るまでの、現実には出会ったり知り合ったりすることのない優れた考え方に触れることができるようになった。

 個人の体験から、人類の体験へのシフトである。

 もし、人類体験へのシフトができたならば、オヤジへの反発など子どものダダのようなものに感じられることだろう。

 

 私が作曲の勉強をしていた時、私の師は「直接、大作曲家から学びなさい」と言った。

 彼のレッスンは決して流暢でも分かりやすいものでもなかったけれど、大作曲家の楽譜を示して「ここに全てがある」というようなことを言う。その楽譜についての、さまざまな研究書や解説書に頼ろうとすると「書物で分かることは著者の能力の限界だ」というような警句を発した。

 

 もし、私が直接ベートーヴェンやレオナルドに会って話を聞くチャンスがあったとしても、私が彼に重要な質問ができるかどうか分からない。ひょっとすると、彼の人柄だけを知って終わってしまうかも知れない。

 確かに、ベートーヴェンから学ぶには楽譜に当たるのか一番良さそうだった。問題は私に、天才たちの楽譜を読み解く能力があるかどうかだった。

 

 後から考えると、師のレッスンは、まさにそのためのものだったことが分かる。私は幸運だった、と思う。

 

 私のもとに通ってくれていたS君という人は、大人物の評伝を読むことが大好きだと言っていた。偉大な人々がどのように生きてきたのかを追体験できるからだそうだ。

 今は職業作曲家として活躍している彼は、実際にそこから学ぶべきことを読み取ることができた人なのだったのだと思う。

 

 さらに個人的なことを書くと、私の両親は子どもの進路についてとやかく言うことはなかった。これは本当に感謝している。小学生の時に、全く練習しないのにピアノのレッスンに通わせてくれていた。まるで進歩しない生徒である私を「よく来たね」と迎えてくれた当時の先生にも感謝している。

 人生、明日のことは本当に分からないものだ。しかし、何か重要なことに出会った時に、それを理解できるだけのレディネスは必要だ。

 そのレディネスの中心を成すものが、自らの価値観であると思う。運がよければ、あなたのオヤジさんが人類が到達した高い価値観について語ってくれるかも知れない。しかし、運が悪くとも図書館やネット上に、それを伝えるものが存在するだろう。

 そこに到達するには、求める心(志)とレディネスがあればよい。

 

 学校の卒業時期が近づくと、将来何になりたいか、あるいはどんな職業に就きたいかを尋ねられる。

 それは定年間近になって、老後の趣味を探すのとどこか似ているのではないだろうか。趣味は探すものではない(しかし、求めるものだ)。

 

 最後にひとつ。価値観の多様化という言葉が良く聞かれるように、100人いれば100通りの人生があるように、価値観はひとりひとり全部異なる。ただし、社会の中心価値は過去から未来まで変わらない。

 それは生命(いのち)である。

 その周囲には360度かける360度の全方向に向かって、様々な価値観が存在し、それがひとりひとりの人生を形作っている。

 最初に出会うオヤジの価値観をきっかけに、私たちは、より高みから世界を照らすものの見かたに出会うのかも知れない。

  ところで冒頭に書いたように、私自身は未だ確固たる価値観を確立できていない、という迷いの人生を歩んでいる。つまり未熟者である。決して謙遜しているのではない。

 未熟者であるということは、まだ伸びしろがあるはずだと前向きに捉えて、もっともっと迷ってやろうと本気で考えている。

 待ってろよ、紀昌。

 

 

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