野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

気まぐれ雑記帳 2012-09-28 宝くじ貧乏と無一文の金持ち

 

 10年くらい前の<気まぐれ雑記帳>にも似たようなテーマで書いているが、そろそろ閲覧できなくなっているかも知れない。というわけで別の角度から、もう一度書く。

 かつてアメリカで行なわれた調査で、宝くじの高額当選者の多くが、その後、負債を抱えて自己破産しているという意外な結果を伝えていた。

 簡単に書くと、高額当選金を得た人は金を使うことだけを覚えて、いずれ使い果たしてしまうが、その生活がやめられなくて負債を抱えるという内容だったと記憶している(もちろん、誰もがそうなるわけではない)。

 

 いま、たまたま手許にレンタルオフィスのパンフレットがあるのだが、内容は次のようなものだ。

 「起業家の皆様にビジネスのスペース、起業時の全面サポート、経営が軌道に乗るまでの営業支援や経営支援、秘書代行まで全面バックアップします」

 契約は大別して次の4種類。

1. 完全個室のプライベート・オフィスをレンタルする。

このサービスの料金には、受付秘書サービス、応接ブース、会議室、多目的ルーム、談話室、エントランスフリースペース、100M光無線LAN、大型シュレッダー、文房具、電気代基本料、ごみ処理費用が含まれており、さらに1時間500円でコーヒーと茶菓付きの来賓応接室を、コピー機やリソグラフもリーズナブルな値段で使うことができる。36524時間使用可能(たぶん秘書サービスは9-17時だと思うが)。

2. パーティションによるプライベート・ブースをレンタルする(利用できる共有施設はプライベート・オフィスと同じ)。

3. キャビネット・オフィスをレンタルする(利用できる共有施設はプライベート・ブースと同じだが、月20時間以上の利用は有料。またオフィスの利用も月〜土の9時から17時まで)。

4. バーチャルオフィスのサービスを受ける(自社の地番と電話回線を得られるらしいが詳細不明)。

 問題の利用料金は、至れり尽くせりのプライベート・オフィスで月額68000円、プライベート・ブースが月額29000円から、キャビネット・オフィスでは最低料金は月額15750円である。

 誰もが起業できるわけではないが、高額宝くじに当たるよりは高い確率で起業家が存在することは間違いない。このサービス内容を見て、自分に何らかの可能性を感じた人は起業家の素質があるのかも知れない。

 全員がとは言わないが、少なからぬ高額宝くじの当選者は、その当選金をどのように物やサービスに変えるかというベクトルで考えることだろう。しかし、起業家は(実際には起業家だけではないが)、どのように利益を生み出すかという真逆のベクトルで考える。

 当初、宝くじ長者は金持ちである。対して起業家は初期費用という負債からスタートすることが多いことだろう。しかし時が経つに連れて、その立場は逆転することになるだろう。くどいようだが、起業家が必ずしも成功するわけではないし、高額宝くじ当選者の誰もが没落するわけでもない。

 私が書きたいのは、考え方のベクトルについてである。

 今では歴史となってしまった日本の高度経済成長期には、会社勤めをしているだけで収入は増え、安定した老後が約束された。しかし、賃金の上昇が期待できなくなった今は現状維持が続く。

 「年収300万円時代を生き抜く経済学」という書物がヒットしたのはそれほど昔ではないが、わずか数年で年収200万円の暮らしという時代に突入しようとしている。

 つまり、現代には目指すべきモデルケースというものがないということになる。赤信号をみんなで渡っているような状態といえるだろう。

 高学歴が安定した仕事を保証してくれるわけでもなければ、真面目に働けばそれに見合った収入が得られるわけでもない。

 では、どうすればよいのか。

 一人ひとり個々のケースについて、私には全く何も語ることはできないのだが、ひとつだけ言えることがある。

 それは「金さえあれば」という宝くじ当選者型思考ベクトルからの脱却である。自分自身が価値を生み出す思考への転換が鍵なのではないだろうか。

 畑を耕して農作物を得る、などは実際に価値を創出する暮らしの最たるものだろう(ただし、生活が楽であるかどうかはやり方しだいということになる)。

 人々が必要とするものを作る、あるいは修理する技術も価値の創出だし、人々が必要とするサービスを行なうことができるということも価値の創出だと思う。

 それらの力が企業から必要とされれば雇用も生まれることだろう。あるいは個人事業主としてひとりでやっていけるかも知れない。PC1台あれば、どこででも暮らせると豪語するノマドと呼ばれる人々もいる(超くどいけれど、誰もがそうなれるわけではない。ひとりひとりみな違うからこそ可能性がある)。

 

 私のような自由業は経済的には超がつく不安定さで、収入は「あったり、なかったり」で、とても人に薦められるものではない。これはもう運命のようなもので、どうにもならないのだと諦観している。

 しかし、これを読んでくださっている方々の多くは自分の未来の舵を自ら切れるという要素を、たとえ一部分であれ、お持ちのことと思う。

 現代人の人生は海図のない航海のようなものではあるけれど、勇気を持って海に乗り出せる人は(慎重さは必要)、海に乗り出すべき時が来ているのではないだろうか。