アーサー・C・クラークは、その著書「未来のプロフィル」の中で「クラークの法則」として次のように述べている。
<高名だが年配の科学者が可能であると言った場合、その主張はほぼ間違いない。また不可能であると言った場合には、その主張はまず間違っている>
私がこれを読んだのは早川書房から1980年2月に出た文庫本なので、もう32年以上前となるのだが、例によって、その後もくり返し読む愛読書となった。
クラークの法則は、本人以外が定義したもの(後にクラーク自身が認めたので公式にクラークの法則となった)を含めて3つあるのだが、私が一番気に入っているのは、前述した第1法則の延長線上にある第3法則である。
<充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない>
人々が(科学者でさえも)不可能であると考えていることが目の前に現れた時、それは魔法だと言うしかないだろう。なんとも痛快な定義だ。
しかし残念なことに、現代人はハイテク機器の動作原理が理解できなくとも、それを魔法だとは思わない。蛇足ながら、存在するかどうかは別として魔法(超自然的世界の力の利用)と超能力(人の力としてのESPとPK)は別物である。
魔法とは、その理由が分からないものに対しての便宜的理由付けである。だから、私にとって分からないものは魔法である。
高校生の時に作曲のレッスンで、トニックの構成音であるド・ミ・ソだけを使った動機を作って大楽節を作るという作曲課題を与えられた。要するに小楽節2つで大楽節となることを理解するための単純なものだったのだが、ド・ミ・ソをどのように並べ替えても魅力ある動機にはならず、まるで乗り気に慣れなかった。
次のレッスンで、ド・ミ・ソだけでは音楽にならないと(不満気味に)師に告げると、彼はピアノでアイネ・クライネ・ナハトムジーク第1楽章の冒頭2小節を弾いた。
移動ドで<ドー・ソドー・ソ / ドソドミソー>である。
「やられた」と思った。同時に自分の愚かさも悟った。モーツァルトはド・ミ・ソだけで、美しい音楽を現実のものとした。そればかりか、ここまで少ない音数でモーツァルトのアイデンティティ(モーツァルトらしさ)とアイネ・クライネ・ナハトムジーク第1楽章のアイデンティティをも明確に表現した。
これはもう魔法の世界である。つまり、おそらくは非常に進んだ作曲技術なのだろう。
別の例を挙げよう。
ミ・ラ・ドという音並びは短調のトニックとして、数百年にわたって誰もが知っていた音並びだと思う。ところがこれにベートーヴェンが魔法をかけると月光ソナタ第1楽章が始まる。嬰ハ短調という、ベートーヴェンが生涯に2曲しか書かなかった調性ではあるけれど、移動ドではミ・ラ・ドが8回繰り返されるだけで(多くの人は5回目のくり返しが始まったところで)、名曲であることに気づくことだろう。
もし、これを魔法と呼ばないのなら合理的な説明がつくはずなので、ぜひご教示いただきたいと切に願うものである。
私の師である土肥 泰(どい・ゆたか)先生は、初めてのレッスンの時に持っていった私の楽譜をじっと眺めてから「音楽には聴こえる」とおっしゃった。
これが私のその後を決定づける言葉となった。確かにソルフェージュの聴音課題であっても、一応音楽には聴こえるものの今でも覚えている課題はひとつとしてない。
音並びを音楽に変えるには作曲するにも演奏するにも “魔法” が必要なのだ。
その魔法の第一歩がインスピレーションである。
インスピレーションとは、音楽に限らず「解決のための方法の組み合わせ」が分かることと言い換えてもよいだろう。
インスピレーションのやっかいなところは、それが常に想像力を超えたところにあるということだ。
私が若かった頃、良いLPプレーヤーが欲しかった(実は今でも欲しい)。それが想像力の限界だったからだ。ところがCDプレーヤーが登場すると、本当はこれが欲しかったのだと思った。その技術が私の想像力を超えていたので、それまで思い至らなかったのだ。
携帯音楽プレーヤーも同様。以前は良いMDウォークマンが欲しかったのに、自分の全CDライブラリを持ち歩けるようなiPodが登場すると、実はこれこそ必要としていたものだと思った(皮肉にも、未だ持っていないのだが)。
顔から火が出るほど恥ずかしいが、師との会話を書いておく。
(進歩のない私に向かって)
「君は、どういう曲を書きたいのかね」
「どういう曲を書いたらいいのですか?」
「それは私には分からないよ」
結局、先生は私に歴史上の真の名曲が、心の底から名曲に聴こえるように根気強く時間を費やしてくださった。これこそが最大の魔法だったかも知れない。
そのお陰で、私は優れた曲とそうでない曲の区別がつくようになっていき、徐々に、自分自身が望む曲を五線紙に出現させるという魔法を使えるようになっていったからだ。
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