野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

気まぐれ雑記帳 2012-11-06 学問のすすめ

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 NHK Eテレの2355(ニーサンゴーゴー)という番組でボルボックスやミカヅキモの美しさに見とれ、思い浮かんだのが、それらを人類で初めて観たかも知れないオランダのレーウェンフックのことだった。

 たまたま、放送大学の「生命環境科学II」という一連の講義のなかに「細胞の発見」があり、そこで少しだけではあるけれどレーウェンフックについて触れられていたので、顕微鏡を覗いて胸踊らせた小学生時代の思い出が一気に蘇ってきた。

 ずっと後になって知ったことだが、レーウェンフックはオランダ、デルフトの出身で、画家フェルメールの遺産管財人を務めた人でもあった。あらためてウィキペディアで確認すると、フェルメールの「天文学者」「地理学者」という2枚の絵のモデルともされているようだ。

 誰でも多かれ少なかれ同じだと思うけれど小学校時代は、何もかも初めてという人生で一番ワクワクする時である。

 自転車に乗ったのも、ペット(飼い犬)とコミュニケーションがとれたのもの、魚釣りをしたのも、料理をしたのも、マッチで紙に火をつけて徐々に太い薪に火をおこすことを体験したのも、流れ星を見たのも、天体望遠鏡を覗いたのも、小学校の理科室で顕微鏡下の世界に驚いたのも、ピアノの鍵盤に触れたのも、絵画における線的遠近法(透視図法)を知ったのも、博物館ではなく出土現場で土器や化石に実際に触れたのも、みんな小学生の時のことだった。

 レーウェンフックも、既に発明されていた単レンズ式顕微鏡を知り、その不思議な力に打たれたのだと思う。

 レーウェンフックは学者ではなかった。専門教育を受けたことがない市井(しせい)の人だった。しかし、普通の人でもなかった。

 というのは、子どもたちに(大人でも)顕微鏡を与えたら最初は面白がるかも知れないが、やがて飽きてしまうのではないだろうか。その原因はいくつもあると思われるが、その中のひとつに刺激的な観察対象が無くなってしまうことを挙げることができるだろう。

 1674年、レーウェンフックは池の水の中に不思議な動くものたちを見出し、微小生物という名前をつけた。彼は、それ以後も思いつく限りのものを自作の顕微鏡で眺め続けた。

 やはり顕微鏡によってコルクの細胞構造を発見してcellと名付けたロバート・フックもよく知られているが、彼は動かない構造を見ていた(顕微鏡図譜_1665年)。しかし、細胞が生命の最小構造であることに気づかなかったと思われる。だからと言って彼の偉大な業績には少しも傷がつくものではない。フックは天文学上でも、物理学上でも科学史に足跡を残している。

 レーウェンフックも微小生物とは名付けたものの、それらが生き物であるという確証を持っていたわけではない。だからこそ、観察を続けたのかも知れない。

 既に2枚以上のレンズを組み合わせて使う複式顕微鏡があったにもかかわらず、彼は最後まで単レンズで顕微鏡の製作を続けた(簡単に言えば、ただの虫めがねと同じ構造)。彼が最終的にたどり着いた性能は270倍程度であったことが分かっている。

 単レンズにどのような問題があるのかというと、収差があるということだ。収差とはレンズで拡大したときにピントが合わなくなる現象で、それには多くの原因がある。

 ここでは色収差について簡単に触れておく。

 光は波長によって屈折率が異なる。だから私たちは虹を見ることができるし、プリズムを用いて太陽光などの分光観測もできる。ところが、この性質のために、単レンズを通して物を見ると像の周囲に虹色のようなボケが現れる。これは拡大すればするほど目立つようになり、270倍ともなると視野中央の狭い範囲しか実用にならなかったことだろう。

 私自身、小学生の時に屈折望遠鏡を自作しようとして、手当たり次第集めたレンズを組み合わせて試行錯誤したことがある。しかし、コレクションしていたレンズは、大型の拡大鏡や虫めがねなどの精度の低いものが大半を占めていたために猛烈な収差の嵐を実体験した。

 この時の経験が後年になって役に立ち、粗悪な光学系はすぐに分かるようになった。

 レーウェンフックは単レンズながら科学史上でも特筆すべき高性能な顕微鏡に到達したということだ。その成果はめざましく、彼は細菌(バクテリア)も発見した。バクテリアの大きさは、およそ1~10μm(マイクロメートル)である。

 当時、小さな昆虫の卵は知られておらず、自然発生するという考え方があった。しかし、彼は顕微鏡による観察で昆虫が卵から孵化することを発見した(後年、パスツールが全ての生物の自然発生説の誤りを証明)。また、彼は精子を発見し、毛細血管とそれを流れる赤血球を発見した。

 高校時代に読んだ、デカルトの有名な「方法序説」には血液の循環について論じた章があったと記憶している。出版は1637年だから、毛細血管の発見以前のことである。あらためて調べてみると、最初に血液の循環を論じたのはイギリスのウィリアム・ハーヴェイという解剖学者・医師だった。血液循環説の発表は1628年。当時はアリストテレスの「血液は栄養として体内で消費される」という説が信じられており、ハーヴェイの説は強い反論にさらされたということである。

 レーウェンフックによる毛細血管の発見は血液の循環を決定づけたことになる。

 精子を発見した彼は、その意味と役割にも到達した。血液循環説を提唱したハーヴェイが「全ては卵(らん)から」という言葉を遺しているが、それも役立ったかも知れない。

 

 と、ここまで書いたところで、本稿ではレーウェンフックの業績を書くことが目的ではないことを思い出した。

 学問をする、というと難しい書物を紐解いて眉間に皺を寄せるようなイメージがあるかも知れないが、実際には知りたいという知識欲に後押しされて物事を追究することこそが、その本質なのではないだろうか。

 何かを探索することによって得られる全ての情報が学問の対象になりうる。高名な著者による書物で、はじめから答えありき、というようなことを学んでも、人の言葉は誤謬を含んでいるかも知れない。付け加えておくと、決して書物から学ぶことを頭から否定するものではない。書物から学ぶことによって完結する分野もあるだろうが、多くの場合、求めていることは書物にはないのではと思う。

 結局、レオナルドの「事実から学べ」ということになってしまうが、人類が目指しているのは全ての事実の解明である(実際には不可能)。

 

 最後に、ひょっとしたら少なからぬ人が勘違いしているかも知れないことを指摘させていただきたい(もちろん私も勘違いしていたから、そう思う)。

 光学顕微鏡はピントが合う範囲が極めて狭く、それによって得られるイメージ(画像)は平面的なものになりがちである。

 その点、電子顕微鏡は対象を立体として捉えることができる。

 一例としてゾウリムシの電子顕微鏡画像をご覧頂きたい。私自身が先入観にとらわれていたことを感じた一枚である。

 そもそも鞭毛がヒラメのヒレのように一列に並んでいると思い込んでいたことからして駄目だった。

 

   ゾウリムシの電子顕微鏡画像

http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/denken/p07/0_01.html

 

   ゾウリムシの光学顕微鏡画像

http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/denken/p07/0_00.html