野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

音楽コラム 2012-12-03 次は音楽史を学びたくなるに違いない駆け足科学史

 

 動物的本能と鋭敏な感覚機能を失いつつあった古代人は(たぶん原始人も)、その代償として、物事を観察して対象を把握し、それらを知識として蓄積したり理解したりする能力を得て、それによって生き延び、子孫を残してきたことは想像に難くない。

 記録が残る古代ギリシャ時代には、すでに人類が現代人に勝るとも劣らぬ優れた観察眼と思考力を持っていたことが分かる(アリスタルコスの太陽中心説、エラトステネスの子午線長の測定など)。

 それらから、アリストテレス的自然観(宇宙観)がヨーロッパにもたらされ、受容されて13世紀にはスコラ的アリストテレス主義が生まれた。

 アリストテレスB.C.384-322)はソクラテスB.C.169-399)、プラトンB.C.427-347)と連なる師弟関係の次に位置する哲学者で、さらにその弟子にはマケドニアアレクサンドロス大王B.C.356-323)がいる。

 スコラ的というのは、過去の文献を精査することによって、またその結果を討議することによって人間の事物・事象の理解を深化させようという考え方のことで、キリスト教と強く結びついていた。当時、知の権威は教会にあり、極めて堅固なものでもあったが、それがヨーロッパ中世の科学の限界でもあった。

 14世紀から15世紀にかけてヨーロッパではルネサンス(“再生”の意)時代が訪れ、スコラ学と現実との矛盾の解決が求められるようになっていく。ルネサンスは西洋史における大きな的詩的転換期のひとつであった。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ1452-1519:以下、レオナルド)は「駄目な画家は画家(他人の目に映るもの※筆者注)から学び、優れた画家は自然(事実、あるいはありのまま※筆者注)から学ぶ」という意味の言葉を遺している。

 これはスコラ哲学の根底を揺るがすような考え方であり、ルネサンスおよび次代の科学の精神を代弁していると言えるだろう。

 1543年には、ニコラウス・コペルニクス1473-1543)の「天体の回転について」とアンドレアス・ヴェサリウス1514-1564)の「人体の構造(ファブリカ)」が刊行され、人類の外なる宇宙と内なる宇宙の概念が一挙に覆されるきっかけとなった。

 その後、ガリレオ・ガリレイ1564-1642)は再現実験(科学における再現性に基づく)によって力学上の法則を次々と証明し、ヨハネス・ケプラー1571-1630)は、それ以前の諸表よりも30倍も精度の高い諸惑星の位置推算表である「ルドルフ表」を完成させて地動説の優位性を証明した。

 「ルドルフ表」の優れたところは、それ以前の天文学者たちが、神の法則としての真円性という観念から脱却できずにいたのにケプラーは観測的事実から惑星の運動を楕円軌道とした点にあった。

 また、アイザック・ニュートン(1642-1727)は1687年に刊行されたプリンキピアにおいて惑星の運動を力学的に説明し、ケプラーの法則に理論的な裏付けを与え、さらにそれらが地球上でも成り立つことを示した。

 “コペルニクス的転回”と呼ばれる科学的視点の移動に代表される成果や、ニュートンによる宇宙と地上における法則の統一は、この時代の大きな変化を表しており、20世紀の歴史学者はハーバート・バターフィールド(1900-1979)は1949年刊行の著書でそれを「科学革命」と呼び、それはその後、広く用いられる概念となった。同じく科学史家のトマス・クーン(1922-1996)は、小文字から始まる普通名詞としての科学革命という用語を用いており、バターフィールドよりも広い意味で使われる。

 

 17世紀から18世紀にかけて望遠鏡、顕微鏡、水銀気圧計などの発明、また、振り子時計、水力紡績機、蒸気機関なども実用化され「産業革命」が起こった。“産業革命”という言葉を最初に用いたのは1837年にルイ・オーギュスト・ブランキであったが、後にアーノルド・トインビー(1852-1883)が著作に用いたことによって学術用語として定着した。この時代で特筆すべきことは、本来異なる概念である科学と技術が密接な関係を持つに至ったことである。

 

 19世紀になると科学の制度化が広まった。

 それは科学の専門分化であり、職業化であり、産業化であった。

 分野ごとに「学会」ができ、それらは後に更に細分化されていくことになる。専門化した科学者は、それだけで職業として成り立つようになり、産業は科学と、それを実現する技術を必要とした。

 

 20世紀になると科学技術は国家の力を左右する要素となり、ここに「科学の体制化」が始まり、広まった。

 それを端的に表す例が戦争の科学技術化であり、核兵器開発競争であり、宇宙開発競争であった。

 それらの開発は爆発的速度で進み、それは人類の歴史に例を見ることのできないものであった。その結果、科学者・権力者を問わず、未来を性急に予測する例が見受けられるようになった。その例が他の惑星への移住や、永住可能な宇宙ステーション、全ての疾病の征服などである。

 超音速旅客機は実現できたものの、時代は速度よりも環境や安全性を要求していたために、たった1回の事故を契機に廃止された。また、核エネルギー利用については核廃棄物の取り扱い技術が開発・確立される前に、それらの問題は解決できるという予測だけで実用化を急いだため、人類の未来に大きな課題を残すこととなった。

 それとは別に、アルベルト・アインシュタイン1879-1955)の相対論や、マックス・プランク(1858-1947)を始めとする科学者たちによって確立された量子論のように、1世紀を経ても一般の人々に浸透しづらい科学分野が台頭したのも20世紀の特徴である。

 一般化する前に古典となったこれら理論は、それらによって実用化された電子工学技術のようなものもある反面、先鋭的な純粋科学として留まっているものも少なくない。それこそ、専門分野が細分化された最大の理由である。

 21世紀の科学的課題は、巨大科学技術における技術の高度化と細分化によるリスクの指数的増大であろう。

 高度な知識を持つ専門家が、極めて近い隣接領域であっても知識を持たない(持てない)ことは原発裁判などで窺うことができる(1973年、伊方原発裁判における証人尋問など)。

 巨大科学技術を俯瞰できる人材は存在しないと断言できるほど、現代の科学技術は高度化、かつ専門化している。

 未来について語ることの困難さは、常に過去が証明しつづけているけれども、可能な限り近い未来に科学・技術の総合化(人間に許容される範囲内の平易化)が望まれる。

 

 一介の音楽家による駆け足科学史であるため科学的正確さに欠けるところがあるかも知れず、その点に関しては読者諸氏による検証を願って結びとしたい。

 

 次は<駆け足音楽史>に挑めるか、乞うご期待。

 

 

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