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野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

気まぐれ雑記帳 2012-09-28 宝くじ貧乏と無一文の金持ち

 

 10年くらい前の<気まぐれ雑記帳>にも似たようなテーマで書いているが、そろそろ閲覧できなくなっているかも知れない。というわけで別の角度から、もう一度書く。

 かつてアメリカで行なわれた調査で、宝くじの高額当選者の多くが、その後、負債を抱えて自己破産しているという意外な結果を伝えていた。

 簡単に書くと、高額当選金を得た人は金を使うことだけを覚えて、いずれ使い果たしてしまうが、その生活がやめられなくて負債を抱えるという内容だったと記憶している(もちろん、誰もがそうなるわけではない)。

 

 いま、たまたま手許にレンタルオフィスのパンフレットがあるのだが、内容は次のようなものだ。

 「起業家の皆様にビジネスのスペース、起業時の全面サポート、経営が軌道に乗るまでの営業支援や経営支援、秘書代行まで全面バックアップします」

 契約は大別して次の4種類。

1. 完全個室のプライベート・オフィスをレンタルする。

このサービスの料金には、受付秘書サービス、応接ブース、会議室、多目的ルーム、談話室、エントランスフリースペース、100M光無線LAN、大型シュレッダー、文房具、電気代基本料、ごみ処理費用が含まれており、さらに1時間500円でコーヒーと茶菓付きの来賓応接室を、コピー機やリソグラフもリーズナブルな値段で使うことができる。36524時間使用可能(たぶん秘書サービスは9-17時だと思うが)。

2. パーティションによるプライベート・ブースをレンタルする(利用できる共有施設はプライベート・オフィスと同じ)。

3. キャビネット・オフィスをレンタルする(利用できる共有施設はプライベート・ブースと同じだが、月20時間以上の利用は有料。またオフィスの利用も月〜土の9時から17時まで)。

4. バーチャルオフィスのサービスを受ける(自社の地番と電話回線を得られるらしいが詳細不明)。

 問題の利用料金は、至れり尽くせりのプライベート・オフィスで月額68000円、プライベート・ブースが月額29000円から、キャビネット・オフィスでは最低料金は月額15750円である。

 誰もが起業できるわけではないが、高額宝くじに当たるよりは高い確率で起業家が存在することは間違いない。このサービス内容を見て、自分に何らかの可能性を感じた人は起業家の素質があるのかも知れない。

 全員がとは言わないが、少なからぬ高額宝くじの当選者は、その当選金をどのように物やサービスに変えるかというベクトルで考えることだろう。しかし、起業家は(実際には起業家だけではないが)、どのように利益を生み出すかという真逆のベクトルで考える。

 当初、宝くじ長者は金持ちである。対して起業家は初期費用という負債からスタートすることが多いことだろう。しかし時が経つに連れて、その立場は逆転することになるだろう。くどいようだが、起業家が必ずしも成功するわけではないし、高額宝くじ当選者の誰もが没落するわけでもない。

 私が書きたいのは、考え方のベクトルについてである。

 今では歴史となってしまった日本の高度経済成長期には、会社勤めをしているだけで収入は増え、安定した老後が約束された。しかし、賃金の上昇が期待できなくなった今は現状維持が続く。

 「年収300万円時代を生き抜く経済学」という書物がヒットしたのはそれほど昔ではないが、わずか数年で年収200万円の暮らしという時代に突入しようとしている。

 つまり、現代には目指すべきモデルケースというものがないということになる。赤信号をみんなで渡っているような状態といえるだろう。

 高学歴が安定した仕事を保証してくれるわけでもなければ、真面目に働けばそれに見合った収入が得られるわけでもない。

 では、どうすればよいのか。

 一人ひとり個々のケースについて、私には全く何も語ることはできないのだが、ひとつだけ言えることがある。

 それは「金さえあれば」という宝くじ当選者型思考ベクトルからの脱却である。自分自身が価値を生み出す思考への転換が鍵なのではないだろうか。

 畑を耕して農作物を得る、などは実際に価値を創出する暮らしの最たるものだろう(ただし、生活が楽であるかどうかはやり方しだいということになる)。

 人々が必要とするものを作る、あるいは修理する技術も価値の創出だし、人々が必要とするサービスを行なうことができるということも価値の創出だと思う。

 それらの力が企業から必要とされれば雇用も生まれることだろう。あるいは個人事業主としてひとりでやっていけるかも知れない。PC1台あれば、どこででも暮らせると豪語するノマドと呼ばれる人々もいる(超くどいけれど、誰もがそうなれるわけではない。ひとりひとりみな違うからこそ可能性がある)。

 

 私のような自由業は経済的には超がつく不安定さで、収入は「あったり、なかったり」で、とても人に薦められるものではない。これはもう運命のようなもので、どうにもならないのだと諦観している。

 しかし、これを読んでくださっている方々の多くは自分の未来の舵を自ら切れるという要素を、たとえ一部分であれ、お持ちのことと思う。

 現代人の人生は海図のない航海のようなものではあるけれど、勇気を持って海に乗り出せる人は(慎重さは必要)、海に乗り出すべき時が来ているのではないだろうか。

 

 

 

気まぐれ雑記帳 2012-09-13 オヤジの価値観

 

 私は1955年生まれなので、常識的に考えれば“オヤジ”側の世代、そして“オヤジ”側の人生観を持っているはずの人間である。

 ところが、どうしてもそのようになれなかった人間なのである。

 

 現在、多くの若者たちが親世代よりも(経済的な意味合いで)良い暮らしをするのは難しい時代を迎えている。

 いわゆる団塊の世代と呼ばれる人たちが社会に出た時期は「日本の高度成長期」と重なった。戦後の復興とも重なってどの分野でも需要が供給を上回った。

 さらに、この時期は第二の明治維新とも言える状況で、日本人のなかに「追いつけ・追い越せ」という気概があった。

 放送大学の「高度成長の秘密」という講義によると、そんなに単純なことではないのだが、そのあたりは本稿の趣旨ではないので省略させていただく。

 

 私がレッスンで扱う題材のひとつに中島敦1909-1942)の短編「名人伝」がある。

 それは次のように始まる

 

「趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた」

 

 紀昌の家系は弓とは何の関係もない。あるいは、紀昌の父親、あるいは身近に高みを目指そうとした誰かがいたという記述もない。

 物語は次のように続く。

 

「己(おのれ)の師と頼むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛(ひえい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて柳葉を射るに百発百中するという達人だそうである」

 

 紀昌は自らの判断で師を定める。

 

「紀昌は遥々(はるばる)飛衛をたずねてその門に入った」

 

 ここまででストーリーはかなり進んだが、小説では、わずか4行。全文でも文庫本で11ページに満たない掌編だが、贅肉のない簡潔な文章で壮大な人生が語られる。

 物語後半に邯鄲の人々のことが出てくるが、誰もが、ごく普通の人々である。ここでいう普通の人々というのは「その社会の価値観を至極当たり前のものとして受け入れ共有する」人々のことで、いわゆる健全な人々である。

 それに対して紀昌は、身近な誰の価値観にも影響を受けず(受けることができないのかも知れない)、弓に自分の生きる道を見出そうとした。

 このあたりは、私自身が中学生になってすぐ、しかも何の理由もなく「作曲しなくてはならない」と思い込んだ経験があるので、よく分かる。

 断っておくけれども、私は音楽の英才教育を受けたことも、その当時、誰かから音楽の才能があると言われたことも、自分自身に才能があると思ったこともない。ただ、強迫神経症的(?)に作曲しなければならないと思い込んだ(勘違いした)だけである。

 おそらく紀昌もそうであったに違いない。しかし、読み進むと紀昌の場合は単なる思い込みでも勘違いでもなかったことがわかってくる。

 その証拠に、物語はその後の彼が真の弓の達人(弓だけではない)に教えを受けられるまでに成長し、人生の真理に到達するまでを描いている。

 

 高学歴の親は自分の子どもも大学に進むものだ、と考えがちであることが調査から分かっている。一流企業に勤務し、結婚して自宅を建てた親は、自分の子どもも同じような道を歩むものだと考えている。

 これがオヤジの価値観である(母親も同様だけれど、タイトルをどうしてもオヤジの価値観としたかった)。

 当たり前だけれど、人は自分の人生しか知らない。

 毎日自分の価値観を(悪意なく、むしろ応援するつもりで)押し付けてくる勘違いオヤジ(オフクロ)の圧力に耐えるのは並大抵のことではない。反発して喧嘩をしても収まるものではないからだ。

 そんな勘違いオヤジを黙らせる一つの方法は、息子や娘が起業して、見るみる間に凄腕の経営者になるか、あるいはオヤジも登りつめたことのない大企業の高い地位につくことである。こういう目に遭った時、自分が成功者であるというプライドで生きてきたダメおやじは弱い。いきなり言動が弱腰になって、卑屈にさえ感じられるようになることだろう。

 しかし、そんなことが簡単にできるとは思えない。

 では、どうすればよいかということになるが、つぎのような例はどうだろうか。

 

 はるか昔、世界がまだ自分の周囲、家族とムラ社会だけであった時には、親や長老の助言が重要な情報源だった。さらに先祖の言い伝えなども貴重な情報だったに違いない。

 ところが読み書きが一般的になると、距離と時間を超えて、より遠い偉人たちの考えに触れることができるようになった。

 そして現代。私たちは2000年以上も昔の古代の哲学者の言説から、現代に至るまでの、現実には出会ったり知り合ったりすることのない優れた考え方に触れることができるようになった。

 個人の体験から、人類の体験へのシフトである。

 もし、人類体験へのシフトができたならば、オヤジへの反発など子どものダダのようなものに感じられることだろう。

 

 私が作曲の勉強をしていた時、私の師は「直接、大作曲家から学びなさい」と言った。

 彼のレッスンは決して流暢でも分かりやすいものでもなかったけれど、大作曲家の楽譜を示して「ここに全てがある」というようなことを言う。その楽譜についての、さまざまな研究書や解説書に頼ろうとすると「書物で分かることは著者の能力の限界だ」というような警句を発した。

 

 もし、私が直接ベートーヴェンやレオナルドに会って話を聞くチャンスがあったとしても、私が彼に重要な質問ができるかどうか分からない。ひょっとすると、彼の人柄だけを知って終わってしまうかも知れない。

 確かに、ベートーヴェンから学ぶには楽譜に当たるのか一番良さそうだった。問題は私に、天才たちの楽譜を読み解く能力があるかどうかだった。

 

 後から考えると、師のレッスンは、まさにそのためのものだったことが分かる。私は幸運だった、と思う。

 

 私のもとに通ってくれていたS君という人は、大人物の評伝を読むことが大好きだと言っていた。偉大な人々がどのように生きてきたのかを追体験できるからだそうだ。

 今は職業作曲家として活躍している彼は、実際にそこから学ぶべきことを読み取ることができた人なのだったのだと思う。

 

 さらに個人的なことを書くと、私の両親は子どもの進路についてとやかく言うことはなかった。これは本当に感謝している。小学生の時に、全く練習しないのにピアノのレッスンに通わせてくれていた。まるで進歩しない生徒である私を「よく来たね」と迎えてくれた当時の先生にも感謝している。

 人生、明日のことは本当に分からないものだ。しかし、何か重要なことに出会った時に、それを理解できるだけのレディネスは必要だ。

 そのレディネスの中心を成すものが、自らの価値観であると思う。運がよければ、あなたのオヤジさんが人類が到達した高い価値観について語ってくれるかも知れない。しかし、運が悪くとも図書館やネット上に、それを伝えるものが存在するだろう。

 そこに到達するには、求める心(志)とレディネスがあればよい。

 

 学校の卒業時期が近づくと、将来何になりたいか、あるいはどんな職業に就きたいかを尋ねられる。

 それは定年間近になって、老後の趣味を探すのとどこか似ているのではないだろうか。趣味は探すものではない(しかし、求めるものだ)。

 

 最後にひとつ。価値観の多様化という言葉が良く聞かれるように、100人いれば100通りの人生があるように、価値観はひとりひとり全部異なる。ただし、社会の中心価値は過去から未来まで変わらない。

 それは生命(いのち)である。

 その周囲には360度かける360度の全方向に向かって、様々な価値観が存在し、それがひとりひとりの人生を形作っている。

 最初に出会うオヤジの価値観をきっかけに、私たちは、より高みから世界を照らすものの見かたに出会うのかも知れない。

  ところで冒頭に書いたように、私自身は未だ確固たる価値観を確立できていない、という迷いの人生を歩んでいる。つまり未熟者である。決して謙遜しているのではない。

 未熟者であるということは、まだ伸びしろがあるはずだと前向きに捉えて、もっともっと迷ってやろうと本気で考えている。

 待ってろよ、紀昌。

 

 

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野村茎一 ソナチネ・アルバム プロジェクト

 

 

機械より人間らしくなれるか?

 

「機械より人間らしくなれるか?」ブライアン・クリスチャン著

 

 新聞とってないけれど、読売の書評欄を読んだから書く。

 アラン・チューリングの名前は、今年(2012年)が生誕100年ということもあって、いやでも目にする(ネット時代特有の表現か)ことが多かった。誰なのか全然知らないので、当然検索してみると天才的な論理学者(ここには数学者とか暗号解読者とか計算機科学者というような意味を全て含んで書いた)らしかった。

 あらためてウィキペディアを読みなおしてみると、1952年に同性愛の罪(当時のイギリスではそれは犯罪だった)で逮捕。「セキュリティ・クリアランスを剥奪され、GCHQで暗号コンサルタントを続けることができなくなった」とある。イギリスは偉大な才能を自ら手放すことにしたわけだ。たかだか半世紀前であってもジョルダーノ・ブルーノの時代と大して変わらない世界だったことに驚く。ガリレオの名誉回復が1992年であることを考えれば、半世紀どころではない。まだ20年しか経っていない。

 

 ここから、ようやく書評の内容に移る。

 アラン・チューリングが「5分間チャット(会話)して人と区別できなければ知能とみなしてよい」と提案したそうだ。だれもチューリングに敵わないからかどうか分からないが、その定義で毎年人工知能コンテストが行なわれている。

 審査員はモニタ上で、本物の人と機械と一対一でチャットし、どちらが「より人間らしいか」を判定する。当然のことながら優勝は人工知能の開発者に与えられるのだが、本書のタイトルは、もうひとつの賞に由来する。それは人工知能に対抗して人間側に立つ役割の人に与えられる「もっとも人間らしい人間賞」だ。

 実際、機械に対抗して人間らしく会話に答えていたのに「機械」と判定されてしまうことがあるのだ。機械に負けてしまう人間というのは、いったいどういうことだろうか。というわけで、人間側を“演じる”人も本気で審査に臨む。その努力の結果が、先の賞である。

 著者は、そういう一人で「(私の)目の黒いうちはAI(人工知能)には勝たせません」と書いているそうだ。

 さて、私たちは機械よりも人間らしくなれるのだろうか?

 評者は、脳研究者で東大准教授の池谷裕二氏。読んでみたくなりました?。草思社刊、2940円。(2012年7月16日現在、アマゾンに中古品は出品なし)

 

音楽コラム 2012-06-02 私が考えるピアノメソードの目指すべきべき姿

 

 私のところにレッスンにおいでになられたピアノの先生がたで、後発優先原則(後発音優先原則)、あるいはそれに相当する言葉を使っている人は一人もいらっしゃいませんでした。

 しかし、そのテクニック自体は全員がご存知です。

 後発優先というのは、前の音の音価が残っているうちに、(異なる声部として)同じ音が楽譜に書かれていれば後からの発音が優先させるという原則です。

 テクニックに名前を付けることは非常に重要です。名前がついた途端、それは秘技でもなんでもなくなりメソード(レッスンにおけるカリキュラム)のひとつになり、レッスンから抜け落ちることがなくなるからです。

 もしスケール(音階)に名前がなかったら、現在のように充実したスケールの練習曲が用意されたでしょうか。

 さらに重要なことがあります。名前が付くことによって「その概念が定義される」ということです。誰もが、そのテクニックについて確信することができます。

 後発優先について言うならば、その問題に関する譜読みの誤りが劇的に減ることでしょう。

 バイエル106番第19小節、右手3拍目にはアルトの2分音符からタイでつながった8分音符Hに重なるソプラノのHがあります。

 ピアノ初心者である生徒の中には「タイでつながった音は弾きなおしてはいけない」というルールがあるので、ソプラノのHを弾くべきなのかどうか迷う人もいます。

 これを説明するときに「はい、弾きますよ」だけで納得できるでしょうか。明確な理由だけが理解を助けることでしょう。

 バイエル106番とそっくりな例がドビュッシーの「子供の領分」グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の第13小節1拍目にあります。

 録音を聴くと、完璧主義者として知られるミケランジェリが、この音を発音していません。音楽的な意味ではなく、おそらく単純な読み間違いであると考えられます。なぜなら、このE音にはスタッカートまで付されていて、さらに2小節後の確保(反復)でも1拍目は鳴らされているからです。大家になると誰も間違いは指摘できないという事情もあることでしょう。それどころか、ミケランジェリの演奏を参考にしたのではないかと思われるのですが、ミケランジェリ以降のピアニストのなかにも(一般のピアノ愛好家も)、このE音を打鍵しない人が少なからず存在します。

 

 私は、ここで「後発優先原則」は重要であると言いたのではありません。

 ピアノレッスンにおいて、それを気に留めている先生からだけしか学べないテクニック、つまり先生の秘技のようなものがあってはならないと考えているのです。秘技は、もっと別のところ、音楽表現のように定義できないところで発揮されるべきです。

 某社の「こどものバイエル」第28番の解説には「意味のよく分からない曲です。飛ばしてしまってよいでしょう」と書かれています。

 これには衝撃を受けました。「ウラノメトリア」を書こうという動機付けのひとつにもなりました。

 バイエル第28番は、大きく括(くく)ると「声部の分離」、より詳細な分類では「反復保持音による2声部表現」の重要な練習曲です。指だけではなく、ロールンク方向への手首の傾きを使って、右手だけで2声部を分離表現する最初の練習曲です。

 これが第39番で左手に、第40番で両手に現れ、第56番で見事な仕上げとなります。第56番は、作曲者バイエルの意図のとおりに弾くと、プロピアニストがステージでコンサートピースとして使っても、なんら遜色ないというほど見事な音楽に仕上がります。

 この練習の流れの見事さは他の初心者用メソードには見られないものです。

 余談ですが、バイエルはロールンクに関しても見事な練習の流れを持っています。トンプソン現代ピアノ教本でもロールンク(ローリング・アタック)を扱っていますが、日本語訳が分かりにくく、ピアノ講師がロールンクについて熟知している必要があるかも知れません。

 

 ここでも、もし「声部の分離」「反復保持音」という言葉と定義を理解していれば、前述したような誤った解説などに惑わされることなく、先生がたも確信を持ってレッスンに臨むことができるでしょう。

 

 ピアノのレッスンは、ピアノ各部の名前を知ることと鍵盤の配置を知ることから始まります。

 鍵盤の配置というのは、一例を挙げると、Cis(Des)はCの鍵盤に7割ほど食い込んでおり、Fis(Ges)はFの鍵盤に8割くらい食い込んでいるということです。

 ピアノ鍵盤の絵を描いてもらうと、ピアノの先生でさえ黒鍵を白鍵の中央に描き込むことが多いのですが、そういう黒鍵はGis(As)だけです。

 ここで、ピアノのところに行って、目を閉じてCis-Disのトリルをしてみてください。次にFis-Gisのトリルです。隣り合う黒鍵の幅の違いに驚かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。Fis-Gisのほうが、はっきりと分かるほど狭く配置されています。

 さらに黒鍵の長さが、絵に描くと意外なほど長く、また幅が狭いことにも気づかれることでしょう。目で見ている時には隙間も黒鍵の一部のように感じてしまうのですが、黒鍵の頂上は白鍵の半分の幅しかありません。白鍵を弾く時にも、原則として中央を打鍵するというレッスンをしていれば、黒鍵を外すことが減るかも知れません。

 これが鍵盤の配置です。

 

 そして実技レッスンのスタートは着座位置です。着座位置は直接打鍵に関わってくるので、もっとも重要な項目のひとつです。

 別の某出版社の定番メソードの着座位置の説明には「上半身は正しくして」とか「あまり深く椅子にかけたり、逆に浅すぎたり、足の位置に不注意であったりすることも、演奏の上に影響をおよぼします」などという言葉ばかりで、具体的な指示はありません。何十年も改訂されることもなく、このままです。

 ウラノメトリアでは、着座位置について、高さについては「手首が水平になること」(打鍵に使う筋肉と腱の動きの最適化のために)、椅子の位置については「右手がA1からC8」まで、左手が「A0からC7」まで届き、かつその時に肘の移動が自分自身の胴によって制約を受けにくい距離で、奏者は座面中央に着座するようにと指示しています(小さな子どもは除く)。ピアノからの距離によって、手首が水平になる椅子の高さが変化しますから、先に距離を決めるほうが分かりやすいことでしょう。

 

 少々枝葉末節にまで入り込んでしまいました。

 人間ですから、相性もあって「先生のあたりはずれ」というのはどうしても生じてしまうと思うのですが、習得すべき基本テクニックの指針さえない、という現状は何とかしなければならないと感じています。

 ウラノメトリアも、完璧にはまだほど遠いメソードですが、バイエルのようなすぐれたメソードと併用することによって、バイエルの説明の少なさをカバーしたり、逆にバイエル前半のすぐれた練習曲群によって、ペリオーデ(音楽の句点、読点の表現)感覚の習得が容易になることでしょう。

 これからも、少しでもピアノレッスンの現場に即した、各練習曲がピアニスティック(指とピアノ鍵盤の機能の摺り合わせについて考えぬかれた書法。ショパンの言う“アクロバットではなく、巨匠の難しさ”、つまり実は易しさを指す)に書かれ、しかもペリオーデ分析が可能な音楽的なメソードになるようにウラノメトリアを磨いていきたいと考えています。

 

 ウラノメトリア全曲・簡単アクセス

 野村茎一作曲工房

 

 

音楽コラム 2012-04-29 師の言葉と私の理解(1)

 

 高校1年の初夏、私は初めて作曲家の土肥泰(どい・ゆたか)先生にお会いした。

 その時16歳(ひょっとしたらまだ15歳だったかも)の私が持参したのは「2本のフルートとピアノのためのソナタ」というラヴェル風の曲だった。

 しばらく(かなりの時間)スコアを眺めてから、土肥先生は「音楽には聴こえる」。と一言おっしゃった。その曲に対する評価は後にも先にもそれだけだった。

 

・師の言葉その1「音楽には聴こえる」

 

 「音楽」とは何かという問題は、その後今に至るまで私を悩ませ鍛え続けてきた。師の言葉から四半世紀後、音楽学者カール・ダールハウスの「音楽美学」を読んで「音楽とは音として鳴り響く内面である」という言葉に出会い共鳴したのだが、まだ違和感があり、それから数年後「音として鳴り響く“美的”内面」ではないかと思い至り、それを私自身の音楽の定義としている。

 

・師の言葉その2「勉強したら頭は良くなるか?」

 

 今でもそうだが、若いころの私は「馬鹿丸出し」だったので(決して謙遜ではない)、和声学などの音楽理論のようなレッスンは時間がかかったが、大楽節をひとつ書いていくような課題は、瞬殺という感じでダメ出しされて終わってしまうのが常だった。土肥先生は、決して彼自身から駄目だとは言わなかった。どのように駄目なのかを私自身が気づくように諭してくださった。

 たとえば「君の曲を一生の間に、この曲しか聴くことができなかった人が人がいたとして、君は後悔しないか?」というように(よほどひどい曲を持って行ったのだろう)。

 何が駄目なのか説明はできないけれど、とにかく駄目であることはすぐに理解した。

 そんな時、先生は禅問答のような問いかけをしてくることがあった。「勉強したら頭は良くなるか?」というのもそのひとつ。

 その後の私の理解はつぎのようなもの。

 いま勉強と言えば、文部科学省の「学習指導要領」のように答えの用意された問題を解けるようになることを指すと思う。だから勉強すると成績が良くなる。これは予定調和であり、努力すれば誰でもある程度実を結ぶので、多少の公平感があるから学校教育としては都合がよい。では「頭が良い」とはどのようなことだろうか。

 私の考えは「本当のことが分かること」。

 天動説は単なる迷信と考えられがちだが、実際には古代ギリシャ(紀元前4世紀ころ)のエウドクソスが理論として唱え、さらにアポロニウスやヒッパルコスらが実際の観測結果とより合致するように「従円」や「周転円」などの精緻な理論を加え、古代ローマのプトレマイオスアリスタルコスによってさらに高度に理論体系化された、れっきとした学説・学問である。

 地動説で有名なガリレオ・ガリレイもピサ大学やパドゥヴァ大学で教鞭をとっていた時には天動説を講義していたことは意外でもある(後年、地動説に転じる)。

 成績が良い人は天動説のテストを受ければ高得点を得ることだろう。しかし、頭が良い人は地動説にたどり着くかも知れない。

 これは、もう予定調和の世界ではない。テストに、いつも試験範囲外の問題が出るようなものだ。

 これを作曲に置き換えて極論するならば「作曲理論は習えても“作曲”そのものは習うことができない」ことになる。作曲を志す者にできることは学ぶことだけ。

 先生が私に求めていたのは、まさにそれだった。

 

・私の理解その1「学ぶとは、それを知る前と知った後、あるいは理解する前とした後とで行動が変わること」

 

 私のお馬鹿の旅は続く。いまでは理解できるものであっても、当時は先生の言葉はちんぷんかんぷんだった。

 何年も経ってから、先生に聞いた言葉に出会い、突然「そういうことだったのか」と閃いて理解する場面に出会うこともしばしばだった。

 学ぶという行為は受動的なものではなく、極めて能動的なものだ。勉強したほうが良いと聞かされてそのとおりだと思ってもなかなか勉強できないものだが、勉強しなければと決意すれば勉強することができる。つまり、学ぶとは知ることではない。自分が変わることだ。 

 私は土肥先生のレッスンを受けるたびに少しずつ変わっていった。もし、私が自分自身を褒めることがあるとしたら、土肥先生の言葉で変わることができたということだろう。同じレッスンを受けていても変われなかった人もいただろうからである。

 

・師の言葉その3「作曲するということは音楽史に並ばんとすることだ」

 

 実は、先生は上のような言葉を言ったわけではない。これは私の意訳なのだが、当たらずとも遠からずだと思う。

 ある時、先生は私の8小節(大楽節)をモーツァルトベートーヴェンと比較したのだった。高校生だった私は、それを聞いて頭がクラクラした。雲の上どころか音楽宇宙の果てのような存在の天才たちと私を比べてどうするんだ、と少々苛立ちすら覚えた。

 しかし、後年、私の作品が演奏会のプログラムでショパンとドビュッシーに挟まれた時、心の底から理解した。先生の“言うとおり”だったからだ。

 駆け出しの作曲家だろうがなんだろうが、聴衆の耳は容赦ない。作曲するということの厳しさは過去の天才たちの存在にあったのだ。そして、それはおそらく先生も同じ体験をなされて、それを私に伝えて下さったに違いないのだった。私が真に理解するまでに20年という長い歳月を要したのだった。

 

 

 野村茎一作曲工房

 

 

 気まぐれ雑記帳 2012-03-30 “分かる”という手順

 

 若い頃に読んだ江戸時代の国学者か誰かの評伝に「幼少期より漢文を習い・・」というようなくだりがあった。おそらく当人はちんぷんかんぷんだったことだろう。

 私は高校時代から「漢文」という独立した授業があった。高校生くらいになれば漢文もよく分かるだろうという、文部科学省のありがたい配慮(むしろ逆配慮か?)によって漢文のテストには問題なく解答できるようになったが、漢文に親しむまでは至らなかった(今でもいくつかの漢詩は暗唱できるので、無理やり)。

 手元に世田谷区教育委員会が編纂した小学生用の教科書「日本語」(低学年、中学年、高学年用の3分冊)があるのだが、これが実に素晴らしい。

 和歌、俳句から漢文、日本の詩、西洋の翻訳詩、能、狂言、歌舞伎まで、相手が小学生だなんて関係ないというような内容。もちろん、やさしく語りかけてくれているが、言葉の問題では解決しないことばかりだ。

 世田谷区教育委員会の英断には敬意を表するとともに、この考え方が日本中に広がれば良いと切に願うものだ。

 

 さて、私が作曲をしようと思い立った中学校1年生の時、当然のことながら何をすればよいのかさっぱり分からなかった。とにかく作曲をしなければならないとだけ思い、1年ものあいだ五線紙に向かい続けた。1曲も完成しないのに、1日も休むことなく五線紙に向かい続けた熱意だけは立派だったと思う。

 2年生の時ころだったか「楽典と楽式」(属 啓成著)という本を手に入れ、それを暗記してしまうほど読み込んだ。いま、それが手許にないということは、形がなくなるほどボロボロにしてしまったということだろう。

 それを読んで何がわかったかというと、おそらく「音読すれば、このような音声が発せられる」という言葉の順序くらいのものだろう。

 

 なぜ、このような物言いをするかをご理解いただくために、試しに“フォルテ”を説明してみていただきたい。ふつうは「強く」と教え込まれているので、それで分かったような気がしているが、楽譜を書くにあたっては(演奏する時も同じだけれど)それでは分からない。

 フォルテを理解しているかどうかは「白地図」ならぬ、デュナーミクアーティキュレーションもない「白楽譜」にフォルテやピアノを書きこんでみれば分かる。

 

 優れた指揮者の演奏する、優れた作曲家による作品を、できれば優れた案内役のもとで聴き続けたらどうだろうか。

 最初はメロディーだけを追っていることだろうが、そのうちオブリガートも聴こえてくることだろう。アーティキュレーションは比較的早い段階で聴きとるだろうが、デュナーミクアゴーギクは聴きとろうと思うようにならなければ「聴いているつもり」で通りすぎてしまう可能性がある。さらに聴きこんでいくと、曲の大まかな構造が見えてくることだろう。そして、適切なナビゲーションがあれば詳細な時系列構造にも気づくことができるだろう。しかし、作曲家が丹精込めて打ち込んでいるのは、曲のどの部分を聴いてもその曲だと分かる統一された個性の表出だったりする。大きなコントラストを持つ対立した主題であったとしても、いわば共通するDNAとなる部分動機を与えて、それが同じ曲の一部分であることを分からせようとしていることにまで気づけば、作曲家も少し安心するかも知れない。それは、手を見ただけで「人のものである」と分かるように、優れた芸術は往々にして生命のデザインに倣っていることが少なくないのだ。

 それで、ようやく「フォルテ」が「強く」などという一言では説明しきれていないことがお分かりいただけたことと思う。

 言葉の説明の前に、子どもたちに実際の音楽に触れさせる大切さもお分かりいただけることだろう。

 

 ここで、世田谷区の教科書「日本語」高学年用にある漢詩をひとつ。

 

 子曰わく、吾十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

 

 これが小学生の理解の範疇にあるとは思えない。しかし、早いうちに「学に志す」というフレーズを心に刻み込んでおかなければ「学に志す」という発想は生まれないだろう。同様に、四十、五十、六十の時にそれぞれの心境を理解できないことだろう。強烈なのは「心の欲する所に従えども、矩を踰(こ)えず」の一文。「思い通りに振舞っても道から外れることがない」というような意味だけれど、言葉では説明しきれない凄さがある。

 

 最後にもうひとつのエピソードを。

 

 私は中学生の時に読んだブルーバックスの「マックスウェルの悪魔」でエントロピーという概念を知り、以後、物理学に興味を持つようになった。

 実は、分からないことのほうが多かったのだが、それでも手当たり次第物理学の書物を読み漁った。そうこうしているうちに相対論がもっとも興味深く思われ、自動的に宇宙論が私のキーワードになった。

 2003年、ダークマターと斥力を持つ謎のエネルギー(ダークエネルギー)が宇宙の9割以上を占め、今まで宇宙の大部分を構成していると考えられてきたバリオンが4%しかないということが明らかになった時、人並みに驚くことができた(もちろん、驚いただけに過ぎない)。

 現代物理学に全く触れることなく過ごしてきた人が、今からチャンドラセカール限界だの、ボルツマン定数だの、Ia型超新星爆発だの、宇宙項の再導入だの、インフレーション理論(経済学ではなく、ビッグバン理論の一部としての)などをただの言葉から実感としての“概念”として捉えるのは大変なことだろう。

 断っておくけれど、私は物理学の素人であって、単なるファンに過ぎない。

 

 孔子の「論語」には次のような言葉もあると世田谷区の教科書は示している。

 

 子曰わく、之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむものに如かず。

 

 子どもたちには分かろうと分かるまいと、優れたものを与えるべきだ。いや、子どもだけではない。全ての人がそうあるべきだ。

 

 

 

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