野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

機械より人間らしくなれるか?

 

「機械より人間らしくなれるか?」ブライアン・クリスチャン著

 

 新聞とってないけれど、読売の書評欄を読んだから書く。

 アラン・チューリングの名前は、今年(2012年)が生誕100年ということもあって、いやでも目にする(ネット時代特有の表現か)ことが多かった。誰なのか全然知らないので、当然検索してみると天才的な論理学者(ここには数学者とか暗号解読者とか計算機科学者というような意味を全て含んで書いた)らしかった。

 あらためてウィキペディアを読みなおしてみると、1952年に同性愛の罪(当時のイギリスではそれは犯罪だった)で逮捕。「セキュリティ・クリアランスを剥奪され、GCHQで暗号コンサルタントを続けることができなくなった」とある。イギリスは偉大な才能を自ら手放すことにしたわけだ。たかだか半世紀前であってもジョルダーノ・ブルーノの時代と大して変わらない世界だったことに驚く。ガリレオの名誉回復が1992年であることを考えれば、半世紀どころではない。まだ20年しか経っていない。

 

 ここから、ようやく書評の内容に移る。

 アラン・チューリングが「5分間チャット(会話)して人と区別できなければ知能とみなしてよい」と提案したそうだ。だれもチューリングに敵わないからかどうか分からないが、その定義で毎年人工知能コンテストが行なわれている。

 審査員はモニタ上で、本物の人と機械と一対一でチャットし、どちらが「より人間らしいか」を判定する。当然のことながら優勝は人工知能の開発者に与えられるのだが、本書のタイトルは、もうひとつの賞に由来する。それは人工知能に対抗して人間側に立つ役割の人に与えられる「もっとも人間らしい人間賞」だ。

 実際、機械に対抗して人間らしく会話に答えていたのに「機械」と判定されてしまうことがあるのだ。機械に負けてしまう人間というのは、いったいどういうことだろうか。というわけで、人間側を“演じる”人も本気で審査に臨む。その努力の結果が、先の賞である。

 著者は、そういう一人で「(私の)目の黒いうちはAI(人工知能)には勝たせません」と書いているそうだ。

 さて、私たちは機械よりも人間らしくなれるのだろうか?

 評者は、脳研究者で東大准教授の池谷裕二氏。読んでみたくなりました?。草思社刊、2940円。(2012年7月16日現在、アマゾンに中古品は出品なし)