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野村茎一作曲工房 音楽コラム2

モダンクラシックの作曲家 野村茎一が音楽雑感を綴ります

気まぐれ雑記帳 2015-12-1(火) 理由を疑え

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 私が子どもの頃からガンの発症率は上昇を続けている。

 日本対がん協会が公開している資料(1947〜2013年)を見ると、1年間の人口10万人あたりのガンによる死者は右肩上がりに、ほぼ直線的に増加している。グラフからざっくりと読み取ると1947年は700人程度だったのが、2013年には300人に達しようとしている。

 ガンは1981年に日本人の死因の第1位となり、最近では総死亡の約3割を占めているということだ。さらに、罹患率となると日本人の2人に1人がガンを経験している。10年後は、この割合が更に上がっているかも知れない。

 さて、ガンの話になると、文字情報でもテレビなどのメディアでも「食生活の欧米化により・・」という枕詞(まくらことば)がつく。私が子供の頃からそうであったのだが、今でもそうだ。

 この言葉はガンの原因について単純明快に言っているように見える。もし、そうならば対策は簡単だ。国を挙げて食事の改善に取り組めば良いだけだ。おまけにガンの少なかった時代の食事内容は良く分かっている。

 ところが、一向にその動きはない(個々に取り組んでおられる方々は存在する)。

  これはおかしい。誰もが「食生活の欧米化なら仕方がない」と自らの命の重さより欧米化を支持しているのか、あるいは、そのような理由をまるで信じていはおらず、スルーしているかのどちらかだろう。

 ガン発症の理由は、現代人を取り巻く環境の全てに存在することだろう。環境中の化学物質は言うまでもなく、生活習慣や、身体的だけでなく心的ストレスまでがガンの原因として挙げられているくらいだ。

 しかし、ここでは、ガンの話をしたいのではない。理由がつく怖さについて問題提起したいのだ。

 たとえば大学に進学すれば就職に有利という理由は、もはや成り立たない時代になっている。問題は大学でどれだけ学力、思考力、実行力など、つまり人間力を身につけることができるか、という問題だ(これは大学を卒業してからもずっと続く)。業種によっては、大学へ進学せずに一刻もはやく技術を磨いたほうがよい場合も少なからずあることだろう。

 医学が進歩したから病気になっても病院に行けば良い、というのも変だ。生活習慣に由来する病は自ら防げる可能性が残されている。

 世の中には、やむを得ない病もあり、そういう場合にこそ医学に助けを求めたいものだ。

 私には、自分の行動に都合の良い理由を見つけては、そのとおりにしてきたような忸怩(じくじ)たる思いがある。

 王様であっても物理学には逆らえないのだから、私たちは事実に基づいて行動しなければ、結果は意に反して事実どおりになることは避けられない。    人生を振り返って「こんなはずではなかった」と感じることがあったら、意に反するその結果こそが、私たちの行動がまさに招いた事実そのものである可能性が高い(可能性から除外されるのは隕石直撃のような不可避な事故など)。

 さあ、若者たちよ(気持ちが若ければ、誰もが若者)。まさに今からスタートだ。

 

 

 

きまぐれ雑記帳 2013-11-04 「一人でもプロジェクト・マネジメント」のすすめ

 ピアノが弾けるようになりたい、100万円貯めたい、だらけた生活を立て直したい・・。

 こういうことを思い立つことが人生の醍醐味。自分の人生にとってプラスになることなら、目的はなんでもよろしい。

 そんな時に、驚くほど力になるのがプロジェクト・マネジメントという考え方である。

 ここで言う「プロジェクト」の本来の使い方は一人でやることではなく、複数の人間が関わる有期計画を指すが、ここでは、そのバリエーションとしての「一人でのプロジェクト」について提案したい。

 

 最初に必要なのは「明確な目標」と「期限」。

 目標が明確でなければ、途中で道を逸れてしまう可能性があり、また「最も乏しい資源である時間」(ドラッカー)を有効に使うためには期限の設定が欠かせない。

 ただし、ピアノが弾けるようになりたいというような漠然とした目標の場合は、期限の設定は難しくなってしまうので「ピアノの練習を習慣として行なえる自分に変わる」というような目標に設定すれば、有意な「期限」を設定できることだろう。

 ともあれ、最初は短い期限設定からスタートすることをお薦めしたい。

 「1億円貯める」という目標は、平均的な生涯賃金から考えれば不可能ではないものの、長期間にわたる挑戦となるので、実現するには20年、30年後にも同じ志を持っている自分がいなければならないことになる。

 まずは10万円、あるいは100万円というところに目標を設定すれば実現可能性は高まる。

 

 ドラッカーは「もっとも乏しい資源は時間である」と前述したけれど、ここでは詳細を書く余裕がないので、次のような間違った例を挙げておくに留めたい。

 「時間節約のために音楽を倍速再生で聴く」

 

 そして成功の鍵となるのが「習慣化」である。「ピアノ演奏が上達し続ける自分」を目標にする場合には、これ自体が目標に近いものになる。いかなる方法も、実行の習慣化には勝てない。そして「習慣化」は「快楽原則」と「身体の反射」が関係してくる。「仕事に慣れる」という言い方があるけれど、少なからぬ場合、そこには身体的な反射が関係している。

 仮に目標金額を10万円と決めて、無理なく貯金できそうな金額として毎日平均500円ずつ貯金することにしたとする。期限は200日後。毎月17000円貯金しても6ヶ月後には102000円貯まるので同じようなものだと思うかも知れないけれど、それではプロジェクト・マネジメントの凄さを体験することができない。

 長くなりそうなので、他の要素についての説明はカットして、ここから本題に入る。興味を持たれた方なら、きっとご自分で勉強なさることだろうから。

 手書きでもエクセルのような表計算ソフトでも構わないので、次のような表を作って冷蔵庫など、毎日、目にする場所に貼り付ける(時系列順タテ型・ヨコ型は好みで)。

 これは200日の目標達成度確認表であり、項目は次のとおり。

  第n日 ◯月◎日△曜日(n1から始まる整数で0<n<201、つまり1200)。

  予定金額 500n

  その日の入金金額(空欄)

  その日までの合計金額(空欄)

  予定達成度 0.05n

  実際の達成度 その日までの貯金金額÷100,000(空欄:500円ずつ貯金しつづけているなら予定達成度をそのまま写すだけでよい)

  さらに凝りたい人は目標達成までの残り日数n200から始まる整数で201>n0、つまり2001)という項目を付け加えてもよい。

 

 これで準備完了。

 この表に書き込むことで成果を直接確認できることは非常に重要。体重を測って記録し続けるだけでダイエットになる、というのとよく似ている。

 

 第1日目、あなたは財布のなかから500円を入れて確認表に「500」「500」そして予定達成度欄には、目標を達成したので、予定達成度の数字をそのまま書き込む。

 第2日目、あなたは、いつも日替わりで買う嗜好品(おやつなど)を節約して貯金の足しにすることを思いつき実行。達成感あり。

 第5日目、あなたは、なぜ貯金などのために毎日の楽しみ(嗜好品)を諦めなければならないのか不満に思うようになるかも知れない。そのため、貯金しても達成感は減じてきた(あくまでも設定による推定)。

 第6日目、とあるショッピングセンターが全商品を通常価格の5%、あるいは10%ディスカウントで販売する日があることを知った。ここを利用すると、必要なものを手に入れて、なおかつ節約できることになり、意欲が回復。

 第11日目、今まで知ってはいたけれど、やったことのなかったネット上の「アンケートに回答してポイント取得」を実行。これで嗜好品が復活し、またまた達成感復活。

 以下省略するけれど、適切に設定されたプロジェクト・マネジメントは、上記の例のように実行者の生活スキルをアップさせる力がある。

 200日後のあなたは、目標の10万円と実行する意欲と力を手に入れている可能性が高い。

 

 「ピアノが弾けるようになりたい」というプロジェクトも同様。最初から「月光ソナタ」を目指すという方法も無くはないものの、オーソドックスにピアノメソードに沿って初歩から学んでいっても、月光ソナタを弾けるようになるまでの期間は大差ないかも知れない。しかも「月光ソナタ」だけを狙って練習した場合には、その曲を弾くための一部のテクニックだけが身につく可能性があり、メソードに沿って練習した場合には、まんべんなく学べる可能性が高くなる。

 毎日の成果が分かると、毎日小さな達成感を得ることができる。達成感は快感であり、それが習慣を生む。習慣化こそがプロジェクトの成功の鍵であることはドラッカーの言葉のとおり。

 

 老婆心ながら書き添えておくと、皆さんの中にはとても物分かりが良くて、この短文を読んだだけでプロジェクト・マネジメントのことやドラッカーのことが分かったような気分になった方もいらっしゃるかも知れない。

 本来のプロジェクト・マネジメントは、複数の人が関わるからこそ必要なものである。その最も重要な部分が全て抜け落ちているので、くれぐれも誤解なさらぬように。

 私がここに書いたことは、海について知りたい人に浜辺の砂の一粒について説明したのも同然と言えるほど限られた内容に過ぎない。興味を持たれたならば、これをきっかけと思って、さらなる探求を行なってくださるよう願って結びとしたい。

 

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音楽コラム 2012-12-03 次は音楽史を学びたくなるに違いない駆け足科学史

 

 動物的本能と鋭敏な感覚機能を失いつつあった古代人は(たぶん原始人も)、その代償として、物事を観察して対象を把握し、それらを知識として蓄積したり理解したりする能力を得て、それによって生き延び、子孫を残してきたことは想像に難くない。

 記録が残る古代ギリシャ時代には、すでに人類が現代人に勝るとも劣らぬ優れた観察眼と思考力を持っていたことが分かる(アリスタルコスの太陽中心説、エラトステネスの子午線長の測定など)。

 それらから、アリストテレス的自然観(宇宙観)がヨーロッパにもたらされ、受容されて13世紀にはスコラ的アリストテレス主義が生まれた。

 アリストテレスB.C.384-322)はソクラテスB.C.169-399)、プラトンB.C.427-347)と連なる師弟関係の次に位置する哲学者で、さらにその弟子にはマケドニアアレクサンドロス大王B.C.356-323)がいる。

 スコラ的というのは、過去の文献を精査することによって、またその結果を討議することによって人間の事物・事象の理解を深化させようという考え方のことで、キリスト教と強く結びついていた。当時、知の権威は教会にあり、極めて堅固なものでもあったが、それがヨーロッパ中世の科学の限界でもあった。

 14世紀から15世紀にかけてヨーロッパではルネサンス(“再生”の意)時代が訪れ、スコラ学と現実との矛盾の解決が求められるようになっていく。ルネサンスは西洋史における大きな的詩的転換期のひとつであった。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ1452-1519:以下、レオナルド)は「駄目な画家は画家(他人の目に映るもの※筆者注)から学び、優れた画家は自然(事実、あるいはありのまま※筆者注)から学ぶ」という意味の言葉を遺している。

 これはスコラ哲学の根底を揺るがすような考え方であり、ルネサンスおよび次代の科学の精神を代弁していると言えるだろう。

 1543年には、ニコラウス・コペルニクス1473-1543)の「天体の回転について」とアンドレアス・ヴェサリウス1514-1564)の「人体の構造(ファブリカ)」が刊行され、人類の外なる宇宙と内なる宇宙の概念が一挙に覆されるきっかけとなった。

 その後、ガリレオ・ガリレイ1564-1642)は再現実験(科学における再現性に基づく)によって力学上の法則を次々と証明し、ヨハネス・ケプラー1571-1630)は、それ以前の諸表よりも30倍も精度の高い諸惑星の位置推算表である「ルドルフ表」を完成させて地動説の優位性を証明した。

 「ルドルフ表」の優れたところは、それ以前の天文学者たちが、神の法則としての真円性という観念から脱却できずにいたのにケプラーは観測的事実から惑星の運動を楕円軌道とした点にあった。

 また、アイザック・ニュートン(1642-1727)は1687年に刊行されたプリンキピアにおいて惑星の運動を力学的に説明し、ケプラーの法則に理論的な裏付けを与え、さらにそれらが地球上でも成り立つことを示した。

 “コペルニクス的転回”と呼ばれる科学的視点の移動に代表される成果や、ニュートンによる宇宙と地上における法則の統一は、この時代の大きな変化を表しており、20世紀の歴史学者はハーバート・バターフィールド(1900-1979)は1949年刊行の著書でそれを「科学革命」と呼び、それはその後、広く用いられる概念となった。同じく科学史家のトマス・クーン(1922-1996)は、小文字から始まる普通名詞としての科学革命という用語を用いており、バターフィールドよりも広い意味で使われる。

 

 17世紀から18世紀にかけて望遠鏡、顕微鏡、水銀気圧計などの発明、また、振り子時計、水力紡績機、蒸気機関なども実用化され「産業革命」が起こった。“産業革命”という言葉を最初に用いたのは1837年にルイ・オーギュスト・ブランキであったが、後にアーノルド・トインビー(1852-1883)が著作に用いたことによって学術用語として定着した。この時代で特筆すべきことは、本来異なる概念である科学と技術が密接な関係を持つに至ったことである。

 

 19世紀になると科学の制度化が広まった。

 それは科学の専門分化であり、職業化であり、産業化であった。

 分野ごとに「学会」ができ、それらは後に更に細分化されていくことになる。専門化した科学者は、それだけで職業として成り立つようになり、産業は科学と、それを実現する技術を必要とした。

 

 20世紀になると科学技術は国家の力を左右する要素となり、ここに「科学の体制化」が始まり、広まった。

 それを端的に表す例が戦争の科学技術化であり、核兵器開発競争であり、宇宙開発競争であった。

 それらの開発は爆発的速度で進み、それは人類の歴史に例を見ることのできないものであった。その結果、科学者・権力者を問わず、未来を性急に予測する例が見受けられるようになった。その例が他の惑星への移住や、永住可能な宇宙ステーション、全ての疾病の征服などである。

 超音速旅客機は実現できたものの、時代は速度よりも環境や安全性を要求していたために、たった1回の事故を契機に廃止された。また、核エネルギー利用については核廃棄物の取り扱い技術が開発・確立される前に、それらの問題は解決できるという予測だけで実用化を急いだため、人類の未来に大きな課題を残すこととなった。

 それとは別に、アルベルト・アインシュタイン1879-1955)の相対論や、マックス・プランク(1858-1947)を始めとする科学者たちによって確立された量子論のように、1世紀を経ても一般の人々に浸透しづらい科学分野が台頭したのも20世紀の特徴である。

 一般化する前に古典となったこれら理論は、それらによって実用化された電子工学技術のようなものもある反面、先鋭的な純粋科学として留まっているものも少なくない。それこそ、専門分野が細分化された最大の理由である。

 21世紀の科学的課題は、巨大科学技術における技術の高度化と細分化によるリスクの指数的増大であろう。

 高度な知識を持つ専門家が、極めて近い隣接領域であっても知識を持たない(持てない)ことは原発裁判などで窺うことができる(1973年、伊方原発裁判における証人尋問など)。

 巨大科学技術を俯瞰できる人材は存在しないと断言できるほど、現代の科学技術は高度化、かつ専門化している。

 未来について語ることの困難さは、常に過去が証明しつづけているけれども、可能な限り近い未来に科学・技術の総合化(人間に許容される範囲内の平易化)が望まれる。

 

 一介の音楽家による駆け足科学史であるため科学的正確さに欠けるところがあるかも知れず、その点に関しては読者諸氏による検証を願って結びとしたい。

 

 次は<駆け足音楽史>に挑めるか、乞うご期待。

 

 

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気まぐれ雑記帳 2012-11-06 学問のすすめ

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 NHK Eテレの2355(ニーサンゴーゴー)という番組でボルボックスやミカヅキモの美しさに見とれ、思い浮かんだのが、それらを人類で初めて観たかも知れないオランダのレーウェンフックのことだった。

 たまたま、放送大学の「生命環境科学II」という一連の講義のなかに「細胞の発見」があり、そこで少しだけではあるけれどレーウェンフックについて触れられていたので、顕微鏡を覗いて胸踊らせた小学生時代の思い出が一気に蘇ってきた。

 ずっと後になって知ったことだが、レーウェンフックはオランダ、デルフトの出身で、画家フェルメールの遺産管財人を務めた人でもあった。あらためてウィキペディアで確認すると、フェルメールの「天文学者」「地理学者」という2枚の絵のモデルともされているようだ。

 誰でも多かれ少なかれ同じだと思うけれど小学校時代は、何もかも初めてという人生で一番ワクワクする時である。

 自転車に乗ったのも、ペット(飼い犬)とコミュニケーションがとれたのもの、魚釣りをしたのも、料理をしたのも、マッチで紙に火をつけて徐々に太い薪に火をおこすことを体験したのも、流れ星を見たのも、天体望遠鏡を覗いたのも、小学校の理科室で顕微鏡下の世界に驚いたのも、ピアノの鍵盤に触れたのも、絵画における線的遠近法(透視図法)を知ったのも、博物館ではなく出土現場で土器や化石に実際に触れたのも、みんな小学生の時のことだった。

 レーウェンフックも、既に発明されていた単レンズ式顕微鏡を知り、その不思議な力に打たれたのだと思う。

 レーウェンフックは学者ではなかった。専門教育を受けたことがない市井(しせい)の人だった。しかし、普通の人でもなかった。

 というのは、子どもたちに(大人でも)顕微鏡を与えたら最初は面白がるかも知れないが、やがて飽きてしまうのではないだろうか。その原因はいくつもあると思われるが、その中のひとつに刺激的な観察対象が無くなってしまうことを挙げることができるだろう。

 1674年、レーウェンフックは池の水の中に不思議な動くものたちを見出し、微小生物という名前をつけた。彼は、それ以後も思いつく限りのものを自作の顕微鏡で眺め続けた。

 やはり顕微鏡によってコルクの細胞構造を発見してcellと名付けたロバート・フックもよく知られているが、彼は動かない構造を見ていた(顕微鏡図譜_1665年)。しかし、細胞が生命の最小構造であることに気づかなかったと思われる。だからと言って彼の偉大な業績には少しも傷がつくものではない。フックは天文学上でも、物理学上でも科学史に足跡を残している。

 レーウェンフックも微小生物とは名付けたものの、それらが生き物であるという確証を持っていたわけではない。だからこそ、観察を続けたのかも知れない。

 既に2枚以上のレンズを組み合わせて使う複式顕微鏡があったにもかかわらず、彼は最後まで単レンズで顕微鏡の製作を続けた(簡単に言えば、ただの虫めがねと同じ構造)。彼が最終的にたどり着いた性能は270倍程度であったことが分かっている。

 単レンズにどのような問題があるのかというと、収差があるということだ。収差とはレンズで拡大したときにピントが合わなくなる現象で、それには多くの原因がある。

 ここでは色収差について簡単に触れておく。

 光は波長によって屈折率が異なる。だから私たちは虹を見ることができるし、プリズムを用いて太陽光などの分光観測もできる。ところが、この性質のために、単レンズを通して物を見ると像の周囲に虹色のようなボケが現れる。これは拡大すればするほど目立つようになり、270倍ともなると視野中央の狭い範囲しか実用にならなかったことだろう。

 私自身、小学生の時に屈折望遠鏡を自作しようとして、手当たり次第集めたレンズを組み合わせて試行錯誤したことがある。しかし、コレクションしていたレンズは、大型の拡大鏡や虫めがねなどの精度の低いものが大半を占めていたために猛烈な収差の嵐を実体験した。

 この時の経験が後年になって役に立ち、粗悪な光学系はすぐに分かるようになった。

 レーウェンフックは単レンズながら科学史上でも特筆すべき高性能な顕微鏡に到達したということだ。その成果はめざましく、彼は細菌(バクテリア)も発見した。バクテリアの大きさは、およそ1~10μm(マイクロメートル)である。

 当時、小さな昆虫の卵は知られておらず、自然発生するという考え方があった。しかし、彼は顕微鏡による観察で昆虫が卵から孵化することを発見した(後年、パスツールが全ての生物の自然発生説の誤りを証明)。また、彼は精子を発見し、毛細血管とそれを流れる赤血球を発見した。

 高校時代に読んだ、デカルトの有名な「方法序説」には血液の循環について論じた章があったと記憶している。出版は1637年だから、毛細血管の発見以前のことである。あらためて調べてみると、最初に血液の循環を論じたのはイギリスのウィリアム・ハーヴェイという解剖学者・医師だった。血液循環説の発表は1628年。当時はアリストテレスの「血液は栄養として体内で消費される」という説が信じられており、ハーヴェイの説は強い反論にさらされたということである。

 レーウェンフックによる毛細血管の発見は血液の循環を決定づけたことになる。

 精子を発見した彼は、その意味と役割にも到達した。血液循環説を提唱したハーヴェイが「全ては卵(らん)から」という言葉を遺しているが、それも役立ったかも知れない。

 

 と、ここまで書いたところで、本稿ではレーウェンフックの業績を書くことが目的ではないことを思い出した。

 学問をする、というと難しい書物を紐解いて眉間に皺を寄せるようなイメージがあるかも知れないが、実際には知りたいという知識欲に後押しされて物事を追究することこそが、その本質なのではないだろうか。

 何かを探索することによって得られる全ての情報が学問の対象になりうる。高名な著者による書物で、はじめから答えありき、というようなことを学んでも、人の言葉は誤謬を含んでいるかも知れない。付け加えておくと、決して書物から学ぶことを頭から否定するものではない。書物から学ぶことによって完結する分野もあるだろうが、多くの場合、求めていることは書物にはないのではと思う。

 結局、レオナルドの「事実から学べ」ということになってしまうが、人類が目指しているのは全ての事実の解明である(実際には不可能)。

 

 最後に、ひょっとしたら少なからぬ人が勘違いしているかも知れないことを指摘させていただきたい(もちろん私も勘違いしていたから、そう思う)。

 光学顕微鏡はピントが合う範囲が極めて狭く、それによって得られるイメージ(画像)は平面的なものになりがちである。

 その点、電子顕微鏡は対象を立体として捉えることができる。

 一例としてゾウリムシの電子顕微鏡画像をご覧頂きたい。私自身が先入観にとらわれていたことを感じた一枚である。

 そもそも鞭毛がヒラメのヒレのように一列に並んでいると思い込んでいたことからして駄目だった。

 

   ゾウリムシの電子顕微鏡画像

http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/denken/p07/0_01.html

 

   ゾウリムシの光学顕微鏡画像

http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/denken/p07/0_00.html

 

 

 

音楽コラム 2012-10-18 音楽と魔法

 

 アーサー・C・クラークは、その著書「未来のプロフィル」の中で「クラークの法則」として次のように述べている。

 

高名だが年配の科学者が可能であると言った場合その主張はほぼ間違いないまた不可能であると言った場合にはその主張はまず間違っている>

 

 私がこれを読んだのは早川書房から19802月に出た文庫本なので、もう32年以上前となるのだが、例によって、その後もくり返し読む愛読書となった。

 クラークの法則は、本人以外が定義したもの(後にクラーク自身が認めたので公式にクラークの法則となった)を含めて3つあるのだが、私が一番気に入っているのは、前述した第1法則の延長線上にある第3法則である。

 

<充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない>

 

 人々が(科学者でさえも)不可能であると考えていることが目の前に現れた時、それは魔法だと言うしかないだろう。なんとも痛快な定義だ。

 しかし残念なことに、現代人はハイテク機器の動作原理が理解できなくとも、それを魔法だとは思わない。蛇足ながら、存在するかどうかは別として魔法(超自然的世界の力の利用)と超能力(人の力としてのESPPK)は別物である。

 魔法とは、その理由が分からないものに対しての便宜的理由付けである。だから、私にとって分からないものは魔法である。

 高校生の時に作曲のレッスンで、トニックの構成音であるド・ミ・ソだけを使った動機を作って大楽節を作るという作曲課題を与えられた。要するに小楽節2つで大楽節となることを理解するための単純なものだったのだが、ド・ミ・ソをどのように並べ替えても魅力ある動機にはならず、まるで乗り気に慣れなかった。

 次のレッスンで、ド・ミ・ソだけでは音楽にならないと(不満気味に)師に告げると、彼はピアノでアイネ・クライネ・ナハトムジーク1楽章の冒頭2小節を弾いた。

 移動ドで<ドー・ソドー・ソ / ドソドミソー>である。

 「やられた」と思った。同時に自分の愚かさも悟った。モーツァルトはド・ミ・ソだけで、美しい音楽を現実のものとした。そればかりか、ここまで少ない音数でモーツァルトのアイデンティティ(モーツァルトらしさ)とアイネ・クライネ・ナハトムジーク1楽章のアイデンティティをも明確に表現した。

 これはもう魔法の世界である。つまり、おそらくは非常に進んだ作曲技術なのだろう。

 別の例を挙げよう。

 ミ・ラ・ドという音並びは短調のトニックとして、数百年にわたって誰もが知っていた音並びだと思う。ところがこれにベートーヴェンが魔法をかけると月光ソナタ第1楽章が始まる。嬰ハ短調という、ベートーヴェンが生涯に2曲しか書かなかった調性ではあるけれど、移動ドではミ・ラ・ドが8回繰り返されるだけで(多くの人は5回目のくり返しが始まったところで)、名曲であることに気づくことだろう。

 もし、これを魔法と呼ばないのなら合理的な説明がつくはずなので、ぜひご教示いただきたいと切に願うものである。

 私の師である土肥 泰(どい・ゆたか)先生は、初めてのレッスンの時に持っていった私の楽譜をじっと眺めてから「音楽には聴こえる」とおっしゃった。

 これが私のその後を決定づける言葉となった。確かにソルフェージュの聴音課題であっても、一応音楽には聴こえるものの今でも覚えている課題はひとつとしてない。

 音並びを音楽に変えるには作曲するにも演奏するにも “魔法” が必要なのだ。

 その魔法の第一歩がインスピレーションである。

 インスピレーションとは、音楽に限らず「解決のための方法の組み合わせ」が分かることと言い換えてもよいだろう。

 インスピレーションのやっかいなところは、それが常に想像力を超えたところにあるということだ。

 私が若かった頃、良いLPプレーヤーが欲しかった(実は今でも欲しい)。それが想像力の限界だったからだ。ところがCDプレーヤーが登場すると、本当はこれが欲しかったのだと思った。その技術が私の想像力を超えていたので、それまで思い至らなかったのだ。

 携帯音楽プレーヤーも同様。以前は良いMDウォークマンが欲しかったのに、自分の全CDライブラリを持ち歩けるようなiPodが登場すると、実はこれこそ必要としていたものだと思った(皮肉にも、未だ持っていないのだが)。

 

 顔から火が出るほど恥ずかしいが、師との会話を書いておく。

 

(進歩のない私に向かって)

「君は、どういう曲を書きたいのかね」

「どういう曲を書いたらいいのですか?」

「それは私には分からないよ」

 

 結局、先生は私に歴史上の真の名曲が、心の底から名曲に聴こえるように根気強く時間を費やしてくださった。これこそが最大の魔法だったかも知れない。

 そのお陰で、私は優れた曲とそうでない曲の区別がつくようになっていき、徐々に、自分自身が望む曲を五線紙に出現させるという魔法を使えるようになっていったからだ。

 

 

この音楽コラムに初めて訪問された方は、以下のページにもぜひお立ち寄りください。

  野村茎一全動画・簡単アクセス

  ウラノメトリア全曲・簡単アクセス

 

 

気まぐれ雑記帳 2012-10-12 放送大学

 

 少し前に、ツイッターで大学教授を名乗る人物が「放送大学を卒業して大学教授になっている人がいるけど、これってありですか?」というような書き込みをした人がいて、放送大学学園の学長みずからが返信した場面があった。

 状況を説明すると、まず、最初の書き込みを行なった人は、放送大学が正式な大学ではないと思い込んでいる様子だった。

 つまり、入学試験がなく、そんな誰でも入れるような大学を卒業して教授になるとは何事だという憤りのようなものを感じる書き込みだった、と記憶している。

 それに対して放送大学岡部洋一学長(2012年現在)の返信は、穏やかで、しかも毅然としていた。

 それから数ヶ月後、放送大学の「大学の窓」というHRのような番組で岡部学長が、放送大学がオープン・ユニバーシティであることに触れ、そのひとつとして「全教育内容が公開されている」ということを述べておられた。

 教育内容の公開は、非常に素晴らしいことである。つまり授業に関する全ての批判を許容し、応対するという姿勢である。某大学教授は、まずその公開されている講義を受けて(テレビ・ラジオ・インターネットで無料公開されている)、それから批判を行なうべきだっただろう。

 1997年に自由業となって以来、私は放送大学の「卒業意志のない履修生」つまり「ニセ学生」である。

 今日もラジオ講義の「健康と社会」第2回「病の経験と患者の生活の質」という講義を聞いて、疾患と病(やまい)とは異なる概念であるという考え方を知った。これを私が自らの言葉で語るには時間がかかるとは思うけれど、その違いを認識することの重要性を強く認識できたので、いずれ到達できると考えている。

 もし、日本中の全ての大学の講義が公開されたとしよう。私の推測に過ぎないけれども、いくつもの「トンデモ講義」が発見されるのではないだろうか。

 なぜ、このようなことを書くかというと、私自身が大学時代に少なからぬ「トンデモ講義」に出会ってきたからである。

 分野を述べると特定されてしまう可能性があるので明かさずに書くけれど、一般教養の講義に、極めて専門性の高い、しかも特殊で狭小な分野の研究成果についてのみ語った教授がいた。周辺知識がなければ、知的興味が湧かないことはもちろんのこと、そもそも、一般学生には理解不能のような講義内容だった。それが、非常に大きな一般分野を表す講義名で行なわれた。

 放送大学では、それと同じ講座名で素晴らしい講義を受けることができた。

 まず、その分野の認識と受容、歴史と発達が分かりやすく述べられ、それから小項目ひとつひとつを詳細に説明していた。つまり、受講生は、その分野の全体像と各論についての一定の深い知識と概念を得ることができたのである。

 これは一種の知的感動だった。そして、私は放送大学フリークになった。

 現在、音楽に関する講座は開講されていないのだけれど、それでも興味深い講座は数多い。

 看護学などは自分とは無関係と思っていたけれど、その崇高な精神に触れて何度も感動する場面があった。図書館学も驚きの連続だった。「図書館は、いつも新しくあることができる」(いつも同じではないからこそ、足繁く通いたくなる)という考え方や、「ただ静かにしているだけではなく、議論の場であってもよいのはないか」という提言は新鮮だった。

 天文学は、興味ある分野だけに非常に面白い。講座によっては録画してくり返し受講し、自分の言葉で語れるまで学びたいと思って、実際に実行している。

 私のような専門馬鹿を救ってくれる貴重なチャンスが目の前にあるということは、途方もなく幸運であると言えるだろう。

 放送大学は誰でも入学できるけれど、誰もが卒業できるわけではない。これは現在の日本の大学において見習うべき点ではないだろうか。

 放送大学卒業という肩書きは、少なくとも在学中に勉学・研究に励んだ成果であると言えるからである(私は、そもそも入学していないので永遠に卒業できない)。

 

 

 野村茎一作曲工房HP201210月現在トップページ工事中につき、指示にしたがってリンクをたどってください)

 

 

 

音楽コラム 2012-10-03 優先順位

 

 優先順位というと真っ先に思い出すのが、ウラノメトリアでは「後発優先(こうはつゆうせん)」、つまり後発音優先原則だろう。

 これは同じ音高にまだ音価が残っている音符があろうとも、後の発音タイミングが優先されるという単純な原則である。

 たとえばピアノ曲。拍子が4分の4(しぶんのし)で、2部音符の同音連打の場合、先発音を厳密に2拍保っていたら高発音はアタックのタイミングを失ってしまう。高発音を優先するために、先発音は音価を短めに切り上げて後発音に譲ることが普通に行なわれている。

 異なる声部になると当たり前のように後発優先の場面が登場する。サティのジムノペディ第1番などは後発優先のオンパレードだし、ドビュッシーも然り。

 実は、こんな当たり前のようなことにわざわざ名前を付けて解説することに大きな意味がある。

 私たちは当たり前のようにやっていることに関して、その重要性が分からないのだ。

 天才ピアニストにレッスンを受ければ分かるけれど、彼らはすでに弾けることが前提なので、普通の人がなぜ弾けないのか分からない。だから、そのことに関して助言することが難しい。

 

 全く異なる状況で優先順位について考えてみると分かりやすい。

 日本人にとっては、水道から流れでてくる水もボトル詰めされた水も、どちらも水である。

 世界には住居から離れた水場から水汲みをして溜め水として使わなければならない人々がたくさんいる。むしろ多数派と言えるだろう。

 流水と溜め水は、別の名前で呼ばなければならないほど、その性質が異なる。

 乳児の哺乳瓶を洗うことを考えてみよう。清浄な流水で洗えば、細菌や汚れはどんどん流されていき、再付着する可能性は低い。しかし、溜め水で洗った場合は細菌や汚れを取り去ることが難しいことは想像に難(かた)くないだろう。

 また、熱帯・亜熱帯などの地域では溜め水にはアメーバ赤痢の原因菌などが繁殖する可能性が高い。それを飲み水とすることは免疫力の低い子どもたちにとっては命取りとなることもある。

 発展途上国の乳幼児死亡率を下げるために最優先しなければならないことのひとつが、上水道の整備であることがこのことからも分かる。

 流水を当たり前のように使っている私たちが、そのことに気づくには、このような考え方に接する以外は難しいのではないだろうか。

(対策は他にもあるけれど今はそれを羅列することが趣旨ではないので、興味を持たれた方は、ぜひ調べてみていただきたい)

 

 作曲を勉強する、と言った時の最優先事項は「音楽を聴くこと」である。

 これも説明が必要である。

 レオナルド以前は、絵画は所謂(いわゆる)写実ではなかった。子どもが太陽やチューリップを記号化して描くのと同じように、それぞれの文化が記号化様式を持っていた。

 たとえば古代エジプトの人物画は真横から見た顔、正面から見た肩と胸、斜めから見た腰と足という3面図のようなスタイルで描かれている。

 あるいは、中世のヨーロッパ絵画(主としてビザンティン美術)や日本の浮世絵などは遠景・近景という2次元レイヤーの重なりで描かれている。

 ところが13世紀に現れたジョット(ジョット・ディ・ボンドーネ:1267?-1337)が、3次元的に連なる空間の広がりを表現して人々を驚かせた(残念なことに現代人は驚けなかったりする。驚くためには当時の人々の感覚と同化する必要がある)。

 当時のジョットの遠近法は曖昧なもので、デッサンが狂って見えるようなところがあった。しかし、ジョットの表現法を知った画家たちはこぞって奥行き表現を真似た。

 遠近法(透視図法)に最も重要な消失点に最初に気づいたのがマザッチオ(本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・モーネ・カッサーイ:1401-1428)であると考えられている。消失点は1から3点まであり得るが、消失点を設定することによって正確な補助線が描けるためにデッサンの狂いは生じにくくなる。

 これを厳密に追究したのがレオナルド・ダ・ヴィンチである。彼の「東方三博士の礼拝」下絵(下絵だけがレオナルド本人の筆による)には透視図法における数多くの正確な補助線を見ることができる。

 また、同じくレオナルドの「受胎告知」では空気遠近法の技法を見ることもできる。

 実際の風景、あるいは目の前の光景を見るということは、そこに家があるとか木が立っているということを見るのではない。その裏側にある、家や木を見せている仕組みを見るということである。

 大画家たちの作品を鑑賞するときにも、彼らが何に気づいていたのかを読み取ることは大切だろう。

 付け加えておくと、透視図法が当たり前になってからセザンヌは意識的にそれをずらして描き、ジョルジョ・デ・キリコ1888-1978)は消失点を4点以上設定して現実ではあり得ない風景を描いた。ワシリー・カンディンスキー1866-1944)は、はじめから消失点などない画面を作り出した。これはもう誰がどこから見ている構図なのか分からない。

 

 ようやく「音楽を聴く」という本題に入る。

 絵画でも音楽でも着眼点は無数にあり、前述した絵画における例でも色彩やシャドウとシェイド、マチエールなどには全く触れていない。

 だから、ここでもほんの一例を挙げるにとどめなければならないことを予(あらかじ)め申し添えておく。

 

 ホモフォニー音楽の全てが2次元的であるとは言わないが、概ねそのように考えてよいだろう。

 ピアノにおけるポリフォニー、あるいはアンサンブルやオーケストラのように複旋律音楽なら、そのまま立体表現(比喩的だけれど)が可能である。

 この分野におけるレオナルドに相当するのはバッハである。彼はフーガやカノンを書く時に、テーマの音価2倍にしたり、逆に2分の1にしたりして、それらを同時に鳴らす技法を使っている。

 それらを聴くと電車などに乗っていて通り過ぎる景色を見る時に経験する「近景」と「遠景」の速度差のように感じることだろう。つまり、立体表現である。

 ロマン派や古典派になってからも、それがフーガなどのいわゆる対位法の正統な技法でないところでも音楽的な立体表現が至るところに見られる。モーツァルトのジュピター終楽章などはその際たるものだけれど、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章再現部なども見事な例のひとつだろう。

 順序が逆になるけれども、バッハやモーツァルトベートーヴェンは、ひとつの動機を様々な形で登場されることによって2次元的な広がりを持たせることに成功している。つまり、その曲のどの部分を聴いても、それが同じ曲の一部であることを感じさせるということだ。

 長くなってしまったので、まとめに入る。

 音楽を聴くということはメロディーと和声をたどることだけではない。ピアノ曲ならば音並びから運指を聴き取って、それがピアニストの指と鍵盤の機能の摺り合わせに適(かな)うものであるかどうかが分かることだろう。それでない曲は、ピアニストが弾きたがらないことだろう。なぜなら自分を活かせないからだ。これは器楽・声楽を問わず全ての演奏家に言えることだろう。

 また、多くの聴衆・演奏家が20世紀現代音楽に現れることの多い、いわゆる“不協和音”を嫌うが、その理由は意外に単純で、その和音に含まれるアヴォイド(忌避音)に作曲家が気づけば、少なくとも避けられることはなくなるだろう。「アヴォイドがいいんだ」という作曲家は、それでよいが(作曲家は何を書いても構わない)、そのような姿勢では演奏家や聴衆の共感を得ることは難しいだろう。

 どんなに高度な曲でも、それが高度な精神性と美学に裏打ちされていれば、いつか理解者が現れることだろう。しかし、アヴォイドを聴き取れない作曲家に美学があるとは、私には思えない。大作曲家たちは、ちょっと聴くと強烈な不協和音に聴こえても、アヴォイドは外すのが普通である。アヴォイドは、同じ音でも1オクターブ上下させるだけで解消することもあるので、このセンスは大作曲家たちの曲から聴きとるしかない。

 しかし、何より大切なのは音楽語法を聴きとることだ。言語でたとえるならば、日本語が分かっていないと日本語は、ただの音声の羅列になってしまうのと似ている。しかし、音楽は言語ほど極端ではない。ちょっとした方言程度のものなので恐れる必要はない。

 音楽を聴く時の最優先順位を決めることは難しいが、もし、あなたが演奏家や作曲家を志すとしたら、今までに述べた要素のどれかひとつずつを最優先と決めて聴きこんでいただきたいと思う。

 メロディーを追うことを最優先としていたら気づかなかったであろう新しい発見、新しい世界が開けることを願っています。